涜書:トゥールミン『近代とは何か』

夕食。

近代とは何か―その隠されたアジェンダ (叢書・ウニベルシタス)

近代とは何か―その隠されたアジェンダ (叢書・ウニベルシタス)

「大阪の本屋で見かけたよ」という親切なタレコミあり。てことは版元にはあるのか と思い、書店を通して注文したところ、なんと一日で届きました。

タレコミ感謝。

商品を受け取ってみたらそこには「残部僅少」という帯が。

  • プロローグ 第三千年期への後退
  • 第1章 近代の問題とは何か
  • 第2章 17世紀ルネサンス
  • 第3章 近代の世界観
  • 第4章 近代の彼方
  • 第5章 前方の道
  • エピローグ 再び、未来を正視する

1章まで。

これ、かなり面白いよ。この本が手に入りにくいというのはちょっと残念。


近代についての「標準的な説明〜常識的な見解」をまとめたあとで提示される本書の準拠問題。これは、

著者の、ウィトゲンシュタインについての懐疑主義的解釈をさておけば、

ある種の哲学者の議論の仕方にたいする「決定的」な──と私は思うが──批判になっているだけでなく、

ローティそのひと自身への批判としては強すぎるようにも思うけど
とはいえ、「ローティは、哲学史を論じる際に、社会史を適切な仕方で参照したかw?」という狭い問いを杓子定規に投げるなら、答えは「しなかった」ということにはなりそうではあるけど、

トゥールミン自身がコミットしてきた「科学哲学-科学史」というディシプリンに対する自己批判になっている点も含めて興味深い:

 数世紀にわたってアリストテレス流の実践哲学が行われた後に、新しい哲学は、理論問題に対する、より綿密な考慮を要求しただけでなく、哲学からすべての実践的関心を完全に排除することをも求めたのだが、その理由を明らかにするには、確かに、もっと多くのことが必要である。では、この「もっと多くのこと」を、われわれはどこに見つけることができるであろうか。哲学史家は、とりわけこの点に関して、17世紀初頭の経済史および社会史に関する最近の研究をもっと真剣に受け止める必要がある。科学と哲学は17世紀の繁栄と平穏の産物であったというモダーニティについての通説と、1610年以降の時期は社会的混乱と経済的後退の時代であったという一般史家の見解との食い違いは、今ではあまりにも大きく、無視することはできなくなっている。われわれ自身の研究もその食い違いから始まったのであり、今やそれを直接考察し、「17世紀初頭に生じた知的焦点の変化が、その時代の、より広範な社会的および経済的危機をどのように反映しているのか」を、問う時期にきている。
 ジョン・デューイリチャード・ローティは二人とも、哲学はルネ・デカルトの仕事の結果、「近代」の袋小路に入り込んでしまった、と結論づけた。奇妙なことにどちらの哲学者も、なぜ 確実性の探求 が1世紀ほど、早くも遅くもなく、まさにこの時期に それほど心をそそるものであったのかをたずねる努力はしなかった。彼らにとっては、近代哲学がその犠牲となった誤謬を究明すれば十分であった。つまり、なぜ、あの苦難があのような仕方で、そしてあの時に哲学を襲ったのかについては、彼らは問う必要はないと考えたのだ。しかしながら、そのような歴史的争点を無視することで、彼ら自身の議論が、修辞学と論理学の問に、なお引き続き亀裂が存在することを実証しているのである──これは彼らが拒絶すると主張している、まさにその立場の特徴である。「17世紀中葉の教育ある人々は、なぜ 確実性の探求 をそれほど魅力的で説得力のあるものだと認めたのか」という問いそれ自体が、デカルトが哲学から除外した種類の修辞的問いである。すなわち、その特定の文脈における哲学の聴衆についての一つの問いなのだ。この問いは、デカルト的誤謬が──もしもそれが誤謬であるなら──なぜ1640年以降の人々にとって特別な説得力をもっていたのか、を問うているのである。ただし、デカルト的誤謬は、中世最盛期にはそれほど説得力をもっていなかったし、そして今日においてももはや全くもっていないのだが。
 この問いは、哲学にとって、特に現在どう見ても無関係であるとはいえない。もしウィトゲンシュタインが正しければ、哲学者の任務は、まさに、なぜわれわれがこれらの知的「袋小路」に引きつけられるのかを示すことである。もしその任務が社会史および精神史の研究を必要とするなら、それはそれでよい。すべての真に哲学的な問題は、特定の歴史的状況から独立した観点から述べられなければならず、またすべての文脈的考慮から等しく自由な方法で解決されなければならない、という主張は、中世哲学のスタイルでもポスト・ウィトゲンシュタイン哲学のスタイルでもなく、1640年から1950年までの近代哲学に典型的な合理主義的主張の一つなのである。本書におけるわれわれの探求の中心的間いは、その欠点を免れている。率直に言えば、それは思想史を扱う。だから、ルネ・デカルトならそれは非哲学的だというかもしれない、という事実問題は的外れなのだ。むしろこの事実は、ここでわれわれが関わっている主要な現象を再び例証してくれる。すなわち、それは、地域的・時機的・実践的間題が17世紀には拒絶され、そして、焦点がもっぱら、一般的、超時間的、かつ 理論的 なものにあてられる哲学研究プログラムで置き換えられた、という現象である。[p.56-p.58]

この準拠問題にどんなふうに取り組んでいくのか、

上記引用から容易に推察されるように、それは、一言で言えば、「脱文脈化されて扱われてきたものを、再文脈化して問う」ということになるわけだが

その概略を(したがって、本書全体のプログラムを)示した後で、章の終わりに再度、準拠問題をもう少し限定したかたちで確認しつつ、この章は閉じられる:

 まだ説明されていないのは、これら[スノーが数百年後に「二つの文化」として取り上げることになった]二つの伝統が、競合するものではなく、相互に補完的なものであると、なぜ最初から考えられなかったのかということである。ガリレオデカルトそれにニュートンが、自然哲学へ踏み込むことによって得られたものが何であったにせよ、エラスムスラブレーシェークスピアモンテーニュを放棄することによって、また何かが失われたのだ。それは、単にシェークスピアの堂々とした力強さが、形而上派詩人のすべての回りくどい比喩的描写や、ドライデンやポープの想像力に欠ける冗長な箇所を断然抜いているというだけではない。それと全く同じくらいに、ラブレーモンテーニュの時代には、まだ許されていた率直さ、くつろぎ、そして狸雑さなど人間らしい態度が、1600年からほどなくして地下に追いやられたのである。われわれがここで関わっている変化は、精神史の基準では、異常に速がった。1580年代に完成したモンテーニュの『エセー』は、17世紀初頭においてもなおベストセラーであった。そして、1630年代に完成したルネ・デカルトの『序説』と『省察』は、すぐに哲学論争で優位を占めた。われわれが、モダーニティの、最初の人文主義的段階から二番目の合理主義的段階へのステップについて説明を修正しようとする場合、われわれが扱うのは、このようにわずか50年ほどのことなのである。
 「この推移は、なぜまさしくそのときに 起こったのか」という問いは、それに続いてさらに、「なぜそれはそのように急速に 起こったのか」という問いを引き起こす。考察すべき重要なことは、著述家個人あるいは人間としてのモンテーニュデカルトではなく、次のような世間の風潮である。それは、1580年代と90年代には不確実性、曖昧さ、それに見解の多様性に対し読者は懐疑論風に寛容でいられたのに、1640年代あるいは50年代には、懐疑的寛容はもはや尊敬されるものとはみなされないほどに急転回したというものである。そこで注意をこの世論の風潮に移して、1590年から1640年の間に、時計を逆戻りさせる何が起こったのか、そして17世紀中葉までに、大半の著述家が、16世紀の人文主義者に見られなかった程ドグマティックになっていたのはなぜか、を問うてみるのがよいであろう。1640年代には、人々が、もはやモンテーニュの寛容と誠実な宗教的信念を両立可能と考えなくなったのはなぜであろうか。特にそれ以降、人々が、その信念に「証明できる確かな」基礎を供給しようとして、あれほど大きなエネルギーを費やしたのはなぜであろうか。1580年代から1590年代にかけては、懐疑論風に曖昧さを受容し、進んで不安定さと共に生きることは、まだ実行可能な知的方策であった。しかし、1640年ころには、事情はもはやそうではなくなっていた。エラスムスラブレーモンテーニュやべーコンによって開かれた知的選択肢は、無視された。そして、驚くほど長期間にわたって、これらの選択肢は、内心、「異端」を意識していた思想家によってのみ真剣に受け止められたにすぎないのである。
 合理主義者は、認識論、自然哲学、そして形而上学の諸問題を、文脈的分析の範囲を越えて高めたいと考えていたが、哲学と自然科学を脱文脈化しようとする彼らの試みは、それ自体が、社会的および歴史的文脈をもっていたのであり、そしてそのことが、本書において考察したいことなのである。 われわれの信念に対して「確実な根拠づけ」を要求することは、20世紀においては当初の魅力を失ってしまっているが、それは、標準的な科学史哲学史において認められているよりももっと多くの事柄が、あるいは哲学において今日問題になっている事柄よりももっと多くのことが、合理主義的確実性の探求においては問題になっている、ということだけから見ても当然である。というのも、われわれは今や、人文主義者がわれわれを置き去りにした所に立ち戻っているのだから。この変化がどのようにして起こったのかを知るために、今度はこれらすべてのことが起こった状況に立ち戻り、そして、「1590年から1640年の間にヨーロッパ人の態度が、そのように根本的な変化を経験したのなら、その変化を突然引き起こす何が起こったのか」を、問うてみよう。[p.70-72]


ところでルーマン先生が──たしか『近代の観察』のどっかの注だったとおもうのだが──この本をちょびっとクサすような通りすがりのプチコメントをしてたよな、と思い、確認しようとしたのだが 本が見つからず。嗚呼.....