涜書:佐藤俊樹「〈社会システム〉はなんでありうるのか」

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  • 佐藤俊樹、「〈社会システム〉はなんでありうるのか」(『理論と方法』15(1)、2000、ハーベスト社)

いろいろ文句はあるがやはりいい論文。興奮して読んだのが 機能 昨日 のことの様に思い起こされる。
なにしろ、出版からはや5年だというのに、俊樹たんの提題に正面から切り返してみせた奴は──私の知る限り──いまだいない*のだ。

だから答えることにはきっと価値があるだろう。
* このことはまた「継承者の不在」をも──つまり俊樹たんの孤独をも──意味している ‥‥に違いない。
肯定的な参照は少なからずみうけられるけど。しかし、そんなことが「できてしまう」論者は、おそらく この論文の孕む毒を理解できていないのではないかと疑われる。(だってそうできるのは、そうすることが遂行的矛盾になってしまうという可能性に気がつかないときにのみ、だろうから。)


■最主要主張:

  • [1] あるものについて、「それはシステムである」といえるのは、その「何か」を要素とする全体が観察できるときだけである。
  • [2] 〈相互作用〉と〈ゲゼルシャフト〉について、これはいえない。
  • [3] だから、〈相互作用〉と〈ゲゼルシャフト〉が「システムである」とはいえない。



キモは [2] の論証。だが、実は この論文は [1]自体の含意──「全体(性)」──の吟味が弱い。

いいかえると、既存のシステム表象の自明性に寄りかかった議論になっている。

そこを衝けば、[2] を引っくり返す道も開ける。