Cultural Studies Forum (CSF) 5月例会

暇があったら行きたいところですが...。

1980年代末の「ワールドミュージック」ブームは冷戦期最後を飾る、「第三世界」からの、または「第三世界」を搾取するポピュラー音楽産業の一つの動向であった。1950年代以降に次々と欧米宗主国から独立していったアフリカやアジアの音楽には、ナショナリズムの高揚が波打っていたことが想像できる。一方で1990年代以降の日本において沖縄の音楽が脚光を浴び始めるのはまた別の文脈であって、冷戦以降の、グローバル化時代の幕開けという側面をもっている。今回のワークショップでは現在の東南アジアのポップス、アフリカのポップス、それに日本のポピュラー音楽の現況報告を通し、冷戦時代のものの総括を含めたワールド・ミュージックの現在を考える場としたい。その際冷戦期/グローバル化時代のワールドミュージックを語る上で、進化していくメディアを巡る政治経済体制の変化が、美学上の「趣味」の問題とともに鍵となるはずである。
皆様のご来場をお待ちしております。         (九谷浩之)

皆様、ふるっておいで下さい。笹川さんは大分県からはるばるいらっしゃいます。


【報告要旨】

1)平尾吉直氏(首都大学東京)「ジンバブエ都市ポピュラー音楽とコミュニティ」

首都ハラレや南部の町ブラワヨをはじめとするジンバブエ都市部のポピュラー音楽は、コミュニティとそこで行われる互助活動との関わりのなかで発展してきた。それは欧米の音楽や南アフリカのンパカンガ、コンゴ共和国(旧ザイール)のルンバなど周辺諸国の音楽を貪欲に取り入れながら、笑いを中心にすえることでコミュニティ内の教育やガス抜きの役割を果たしてきた。一方、政府はローデシア時代からコミュニティの互助活動を抑制しつつ利用してきており、音楽もまた例外ではなかった。そこには都市の労働人口を制御し、都合の良い労働力の流れを作り出そうとする意図が見え隠れする。政府の方針転換に翻弄されながらも、ジンバブエの都市住民は独自の娯楽としての都市ポピュラー音楽を発展させてきた。それはやがて農村や鉱山労働者の間で受け継がれてきたムビラ音楽などの要素を取り込み、歌詞のうえでもナショナリズム色を強めていく。こうして生まれたトーマス・マプーモなどによる「チムレンガ・ミュージック」がジンバブエの独立闘争において果たした役割は決して小さいものではなかった。しかし、独立後のムガベ政権もまた、コミュニティ活動を抑制しつつ利用するといった姿勢には変わりがなかった。トーマス・マプーモらは政府に対する批判を強め、いくつかの曲はジンバブエの放送から締め出されている。今回の発表では、こうしたジンバブエ都市ポピュラー音楽の歴史を跡づけながら、この国の現状において音楽が果たしうる役割を探りたい。

2)笹川秀夫氏(立命館アジア太平洋大学

「タイとカンボジアのポピュラー音楽みるグローバル化と反グローバル化」いわゆる「ワールド・ミュージック」の流行以来、20余年を閲した結果、東南アジアのポピュラー音楽もまた日本で紹介される機会が増えた。ただし、流行当初にみられたインドネシア音楽の紹介のされ方にせよ、近年みられるタイのルークトゥンやモーラムといったジャンルをめぐる語りにせよ、「純粋」に「土着的」な音楽のみに高い評価が与えられてきたように思われる。そして、英米や日本から強い影響を受けた東南アジアのポップスは、「真正」な東南アジアの文化と見なされていないようにも思える。しかし、カルチュラル・スタディーズの課題が、「真正」とは見なしえない文化の検討をも包含することは、言を俟たない。本報告では、英米や日本からも影響を受けつつも、タイのポピュラー音楽が中国語圏と近年どのように連関しているか、また、タイ・ポップスがカンボジアでどのように受容されているかを概観する。あわせて、タイにおいて「中国的なもの」が商品化していく過程や、タイ文化の流入カンボジアナショナリズムを刺激し、反タイ感情を惹起している状況にも言及することで、グローバル化および反グローバル化がローカルな文脈でどのように現われているかについて考察を試みたい。

3)佐藤英孝氏(放送局勤務)「ルーツミュージックの日本における需要と受容」

かつて「民族音楽」とよばれ、主に学者の間で研究対象として扱われていた音楽が、「ワールドミュージック」というパッケージを与えられ、ヨーロッパを中心にポピュラー音楽の愛好者に届く経路が開かれたのが80年代後半のこと。20年近い月日を経た現在の受容のありようを、放送関係者の観点から報告する。また、測道のような話題ではあるが、日本においてミュージシャンが「ルーツミュージック」を消化した実践例を幾つか紹介しつつ、その中での受容を考えてみたい。