再訪。文のいみがよくわからんところ多数。あとで原著もあたっておこう。Questia にあるといいな...。
- 作者: W・ベック、A・ギデンズ、S・ラッシュ,松尾精文、小幡正敏、叶堂隆三
- 出版社/メーカー: 而立書房
- 発売日: 1997/07/25
- メディア: 単行本
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この人たち、面白いなぁ。
■ギデンズ
電子技術の比重がますます増大する文化においては、ノン・ヴァーバルないイメージは、日々の生活経験の組織化で日常茶飯事のこととなり始めている。しかし、この現象を解釈するには二つの方法がある。[まずひとつには、] ポスト構造主義理論のなかでさまざまなかたちで練り上げられていった、おなじみのソシュール流の解釈方法がある。[‥]
とはいえ、まったく別の見解を示すこともでき、私はその見解を支持していきたい。言語は、もっぱら言語使用の特性のひとつに指標性があるゆえに意味を担うのである。いかなる記号も──一見完全に絵記号のように思えるものであっても──叙述なしには存在できないのである。今の時代の美的省察は、その省察の再帰性が、再帰性の想定する叙述形式そのものを破壊したり、その叙述形式に疑いをさしはさんでいくように典型的に編成されているという点で、逆説的である。[...][p.358]
■ラッシュ
[...] 私は確かにポスト構造主義の影響を受けているが、私は、こうした理論が記号表現の差異の自由な動きによる意味や叙述、心理の脱構築を想定していくような考え方には、ギデンズと同様反対である。ギデンズは、「指標性」というというかたちで意味を理解することをむしろ選考している。この意味では、エスノメソドロジーは、「指標的特殊因子」という概念を主題にしている。この概念は、共有された意味を、型にはまった活動や言語使用に関してすでに適用されている前提条件として、つまりどのような社会的関係性にとってもそれが存在するために必要なものとして想定している。この本で私が意味について述べてきた考え方は、ポスト構造主義よりも、むしろ指標性とより多く関係していると、私は考えている。
問題は、抽象的システムの絶え間のない介入が、多くの場合、こうした意味を空洞化するために働き、関係性を無意味なものに、あるいは不可能にさえする傾向であるように、私は思う。[p.372]
争点になってるところで出てくる訳語くらい統一しておこうよ。>訳者
うわー。Questia にも Google にもなかったよー。
Amazon の中古は16,485円もするよー。
Reflexive Modernization: Politics, Tradition and Aesthetics in the Modern Social Order
- 作者: Ulrich Beck,Anthony Giddens,Scott Lash
- 出版社/メーカー: Polity
- 発売日: 1994/10/27
- メディア: ペーパーバック
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守護者と専門家
(命令を下す)統治者や官公吏と(解釈を下す)守護者という二つの範疇は、ほとんどの場合同じ人物のなかに融合しているとはいえ、両者を区別することはおおむね可能である。マックス・ウェーバーは近代社会における専門知識のはたす役割について大いに関心を寄せてきたが、ウェーバーが伝統と専門知識の間に描いた対比は、主として命令システムの正当性と関係していた。[p.156]
... ウェーバーがピューリタンの倫理のなかに暴き出した衝動強迫性は──[...]──「規律社会」とではなく、もっと別なものと結びついている。
この点で、われわれわれは、専門家と官僚制組織の職員とを分けて考えていく必要がある。[..] 専門家と専門的職業従事者を同一視すべきではない。専門家とは、普通の人が所有していない特定の技能なり知識類型を自分のものであると首尾よく権利主張できる人である。「専門家」と「一般の人」は、状況次第の相対的用語として理解していく必要がある。専門知識には多くの層があり、また専門家と一般の人が互いに出会う 所与のいずれの状況においても重要となるのは──所与の行為領域のなかで──その人を相手との「関係」において「権威」にしていく技能や情報の面での不均衡である。[p.159]