涜書:宮原勇『現象学の再構築』

現象学の展望 (アウロラ叢書)

現象学の展望 (アウロラ叢書)

が見つかりません。


代わりに──というたらなんですが──こちらを再訪。

おーい。ISBN 書いてないよ...。

第二章 現象学と言語分析

A 述語文の構造と志向性
  • 1 「志向性」とは──ブレンターノとフッサール
  • 2 言語分析からの「志向性」批判
  • 3 反-批判の試み

トゥーゲントハットの主張まとめ

  1. 志向的意識作用の対象は 述語的判断で言語化されうる「事態」である。
  2. 通常は単一名辞を目的語にとる志向的他動詞も、その名辞によって指示されている対象に関する存在命題を真とみなす命題的意識のあり方を含意している。
  3. 事態が統一性を有する対称性として成立するのは、言表命題が名辞化され、対象化されてはじめて可能であり、しかも命題は述定作用により生ずるゆえに、述定作用という言語的分節化能力が人間の認知機構の中で最も根本的なものである。[p.97-98]

ここでの「事態Sachverhalt」は、「that-clause」のこと[p.93]。

フッサールの場合
[『論研』第二版]:(存在)措定的性質 die thetischen Qualitäten

[...] 志向的作用は、自らの本質的契機として〈存在措定的〉(seinssetzend = positional)作用を内に持っている。[...] ただしフッサールでは志向性の本質にはもう一つ重要な契機が考えられている。それは「意味」という契機であり、志向性の本質は〈存在措定的性質〉と〈意味〉とから形成されているという。さらにフッサールは、志向作用によって獲得された認識内容は「意味の核と存在性格とから成る統一体」という意味での「命題」(Satz)であるとまで言っている。ここまでくると、志向性の本質は「命題理解」(Satzverständnis)にあるとするトゥーゲントハットの主張にあと一歩であるとも思える。しかし[...] フッサールのいう「命題」とは言語表現となっていない段階のものを指しているのであり、それは謂わば比喩的な意味でそう呼ばれているにすぎないのである。[...] フッサールが「命題」と呼んだ構造ゆえに、言語論的には志向状態は「命題的」態度と特徴づけられるのであって、決して逆ではない。[p.118-119]

えー....
なんだか子どものケンカみたいなことになってまいりました.....

ハイデガーの場合
[「論理学 真性への問い (ハイデッガー全集)(1925/26)→『有と時 (ハイデッガー全集)』(1927)]
  • 手もとにおける「として」:解釈学的「として」構造
  • 手前における「として」:命題論的「として」構造

言明とその構造である 命題論的〈として〉 は、解釈(Auslegung)とその構造である 解釈学的〈として〉 の内に基礎づけられており、さらには 理解(Verstehen)つまり 現存在の開示性(Erschlossenheit)に、基礎づけられているのである。[SuZ p.223]

なるほど。


二章後半。

第二章 現象学と言語分析

B ノエマと意味


※参照文献。読まないけどな。


あとマクダウェルをぱらぱらする。III「Issues in Wittgenstein」を読まねばならぬようです。

Mind, Value, and Reality

Mind, Value, and Reality

  1. Greek Ethics
  2. Reason Value, and Reality
  3. Issues in Wittgenstein
  4. Mind and Self