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『モースの世界』第二部第3章 溝口論文は、供犠論の成立をめぐるデュルケーム - モース書簡を跡づけたもの。デュルケームに対するモース他からの影響は、デュルケームの読解にとっても見逃せない事柄であろう。
第二部第6章 佐久間論文は、『贈与論』の簡にして要を得た紹介とともに、それとモース社会主義思想との本質的な関わりを述べたもの。内容も素敵だがプロットも素晴らしい。
この二本は勉強になった。
檜垣講義。
言語を強く問題視し、正常化とそこからの排除を論じる…だけでは、… 分類とそれに関わる知をしか把捉できない。[p.37]
なぜですか。
生政治において、人口として把捉される人間は、もはや「個人」としての人間ではない。規律権力や生権力は、個人としての主体化を、力動的に扱うものであった。ところが、生政治から統治性の議論では、人口的なマクロ性において捉えられる集団性、その延長としての経済性や流通の議論、さらには風土的環境的な主題が際だってくる。これらは人間にとって、主体の深部に生命的な無意識性がうごめいている、その姿を露呈させるものであるといえる。そして「統治」とは、そうした「生命としての自然性」にもとづいた、それに対する管理を標的にすることなのである。[p.41]
わからぬ。まるでわからぬ。
『モースの世界』。
- 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所(http://www.aa.tufs.ac.jp/) 共同研究プロジェクト『マルセル・モース研究−社会・交換・組合』
これはひどい。みんなPDFじゃないか。
- 科研「マルセル・モース人類学の現代的再評価」http://kaken.nii.ac.jp/d/p/22520835
確かに、自己自身の速度を超えて対象へと超出してゆく好奇心の運動の状態そのものを、もっともすぐれた意味での民族誌的関心のバネと呼ぶことはできるかもしれない。しかしそうであるならそれは、「選択する主体」の放棄からくる「非体系性」などと呼べるものではなく、逆に「主体」に支えられた「体系」の外にあってその狭さと限界を照らし出し、道の細部に光を当てる、多方向に散乱するある種の博物的な洞察力ともいうべきものではないか。[p.41]
わからぬ。まるでわからぬ。
フランスの社会主義の歴史に足跡を残した人々を紹介する伝記辞典には、人類学者・社会学者のモースとはやや色彩を異にする、大げさに言えば異貌のモースが示されている。
モースが踏みとどまった「都市」を出て、レヴィ=ストロースがサンパウロからブラジルの辺境の野生の自然のさなかに生きる人々に向かったとき、おそらく人類学はモース的な「よりよき人為主義」の探求ではない何かを志向したのではないだろうか。[p.87]
どこのなにがどうするとそんな結論が導けるの…
文献
第二部 第三章
- 伊達聖伸(2009)「フランスにおける宗教学の制度化──宗教学と神学、歴史学、心理学、社会学のインターフェイス」『東京大学宗教学年報』26: 63-76
http://ci.nii.ac.jp/naid/120001624214
第二部 第六章
- モーリス・ゴドリエ『贈与の謎 (叢書・ウニベルシタス)』