卒業論文。500円
「おまけ」として「バーチャル口頭試問」なるファイルも収録されていたのだが、教員たちが、見ただけで魂が汚れる感じのする いかにも人文くん的発言を連発していて悶死するかと思いました。
- はじめに 2
第一部 『日常生活の創発性』という書物 5
- 「使用あるいは消費」 7
- 「軌跡」 9
- 「戦術」と「戦略」 11
- 「場所」と「空間」 14
- 「物語」 16
第二部 抵抗する「使用」――セルトーの〈散種〉 19
- 抵抗する「使用」. 19
- デリダの散種 20
- セルトーの散種 24
- 第一部・第二部総括 30
https://cartaphilium.hatenadiary.com/entry/2022/03/08/223233第三部 無意識の足どり 35
- セルトーとフーコー 「無意識」の審級をめぐって 35
- ふたたび都市を歩く 40
- 参考文献 45
文献
- 鶴岡賀雄(2002)「現前と不在:ミシェル・ド・セルトーの神秘主義研究」, 宗教哲学研究 19(0) , 宗教哲学会, pp.13-28
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390845713059312640 - 林 康人(2003)「ミシェル・ド・セルトーの文化理論に関する一考察」岡山大学大学院文化科学研究科紀要 15(1), pp.89-116
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390290699524337664 - 牛山美穂(2006)「「抵抗」および「戦術」概念についての考察」死生学研究 (8), 191-210, 東京大学グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」
https://cir.nii.ac.jp/crid/1571698602448019712 - 小田亮(2012)『日常的抵抗論』
https://puboo.jp/book/40379 - 須納瀬淳(2014)「「幽霊の神学」、あるいはミシェル・ド・セルトーにおける〈他者〉の問題について」言語社会 8, 一橋大学大学院言語社会研究科, pp.226-243
https://cir.nii.ac.jp/crid/1390572174819594240 - 渡辺優(2018)「「パロール」とそのゆくえ――ミシェル・ド・セルトーの宗教言語論の輪郭――」天理大学学報 70(1), 天理大学, pp.1-28
https://cir.nii.ac.jp/crid/1050282676643514112
追記(2024年5月30日)
不思議なクレームがついた。
ひと月前にcontractioさんに抵抗する使用読まれてたことに気づいたけど、文献って書いてネットで読める日本語の参考文献だけ切り抜くのは偏向報道に近いのでやめてほしい
https://twitter.com/awncient/status/1795744982974005585
午後6:12 · 2024年5月29日
どこがどう近いのだろうか。
二次文献としていちばん読み込んだのは多分Ian Buchananで、あとはルース・ジアールとかそのへんのほうがよっぽどセルトー理解については資していたと思う
https://twitter.com/awncient/status/1795748839984701719
午後6:27 · 2024年5月29日
そんなことは読者の知ったことではないし、私がここに残すべきメモにも関係がない。
或る文献を読んでいて気になる文献があったときに、それについてメモを残すことは読者としては ごく普通の振る舞いであり、それを「偏向」と呼ぶのは単に言葉の使い方を間違っているように思われる。(当該論文に付されている文献リストを そのまま転写したら そちらの方がアウトであろう。常識的に考えて。)
他方、哲学科の学位論文がどのようなものであるかを知っている人は セルトーに関する論文が上にリストした著しく少数の(しかもWEBで取得できる邦語の)文献のみを参照して書かれたと考えることはないだろうし、哲学科の学位論文がどのようなものであるかを知らない人は そもそもセルトーに関する論文が 幾つの言語の幾つの文献を読んで書かれたかに関心を持つことはないだろう。「偏向報道」という語を使って表現しようとしている懸念(?)が想定しているのは、具体的には一体どういう事態なのだろうか。