グロード&ルエット(1999)『エッセイとは何か』


  • 引用テクスト一覧
  • 序論
  • 第一章 エッセイの論理
    • 1. 経験論的なアプローチ 011
    • 2. 袋小路 詩学におけるエッセイ 018
    • 3. 樹形図 エッセイとそれに隣接するジャンル 039
    • 4. みつまたの鉾 ジャンルの論理 057
  • 第二章 歴史(1) 古典期の系譜 066
  • 第三章 歴史(2) 近代的な形式 125
  • 第四章 理性と反響 191
  • 第五章 エッセイの語用論 222
  • 結論
  • 語彙集
  • 訳者あとがき

引用テクスト一覧
  • カミュのエッセイ、散文と詩のはざまで 60
  • ペギー 回帰する散文 62
  • モンテーニュと、エッセイの「飛んだり跳ねたりする」、「詩のような歩みかた」 64
  • ロックと哲学的エッセイ 真理の究明 128
  • マリヴォーとエッセイの「愉快な雑纂」 130
  • ディドロと遊歩としてのエッセイ 132
  • バランシュ、「谷間の孤独な住人」 187
  • テーヌ、エッセイの選集のために 188
  • バルト、不確実にして「後退的」な作家 189
  • ディドロと「ひそやかな秩序」 220
  • エルンスト・ブロッホ「寓話によって思考すること」 253
  • ヴァレリー 微笑せるエッセイの謙譲 255
  • ペギー 証拠としての文体 257

序論

第一章 エッセイの論理

1-0

  • [012] したがって、
    ①まず経験的なデータを集めてみるなら、詩学側の沈黙や、詩学がジャンル理論のなかにこのテクスト的集合を統合するのに援用する手段が、興味深いものに思えてくるだろう。
    ②次いであらゆる比較操作を利用することによって、「観念の文学」のおおまかな分化を限定し、エッセイを他の隣接ジャンルから区別することにしよう。
    ③こうした一連のアプローチの限界は、われわれをジャンルそのものの観念に連れ戻し、エッセイを以下の三つの道の交差点に位置づけるような、ジャンルの観念の定義を提起させることになるはずである。
    • ①第一の道はエッセイの系譜を段階を追ってたどる道である。
      ②第二の道は、おなじカテゴリーに属する諸テクストにおいて指摘される類似した特徴から、その理念的なモデルを構築することに通じる道である。
      ③第三の道は、語用諭的な観点からその言表装置の独自性を考察する道である。

第二章 歴史(1) 古典期の系譜 066

2-3 啓蒙の世紀のエッセイ 097

  • [097]「モンテーニュ以後、フランスではエッセイのいわゆる後継者が出てこないが、それはエッセイが貴族の文人たちを魅了したのがむしろ英国においてだったからである。このフランス的なジャンルはいったん海峡の彼方に移住して、その後また母国に帰還するのだが、少なくともわれわれの仮説によれば、それは18世紀のフランスに急速に広まった英国趣味のせいである。啓蒙時代において、フランスのモラリストや哲学者は、エッセイが英国から逆輸入されたとき、モンテーニュのことを確かに思い出したはずだ。」

訳者あとがき

  • ルカーチ「エッセイの本質と形式について」(1910)『魂と形式』 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4560022518/datum-22
  • アドルノ「形式としてのエッセイ」(1958)『文学ノート』 https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4622074702/datum-22
  • サイード「世界・テキスト・批評家」(1983)https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4588004808/datum-22
  • ルジュンヌ『フランスの自伝』(1971) https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4588140574/datum-22
  • 本書が採用した三つのアプローチ:
    ①系譜学的なアプローチ:モンテーニュの『エセー』から、英国とロマン派のエッセイストたちを経由して、ロラン・バルトヘと通ずる系譜を歴史的にたどること。
    ②類推の論理によるアプローチ:このジャンルにおいては論証と言語の快楽とがうまく調和しているのだが、そうしたジャンルのモテルを抽出することが、このアプローチによって可能になる。
    ③語用諭的なアプローチ:ここで照準を定められているのは、エッセイの言表行為と特徴的な読解との契約である。エッセイとは、そこにおいて確信と逡巡がたがいにバランスをとりあったり反目しあったりしている、条件付の真理性の形式にほかならないのだ。
  • [280] ジュネットの「トランステクスト性」:
    ①パラテクスト性:テクストとそのタイトル・サブタイトルなどとの関係
    ②間テクスト性:テクストとそれが引用したり暗示したりしている他のテクストとの関係
    ③ハイパーテクスト性:テクスト同士のあいだの模倣や変形
    ④メタテクスト性:テクストとそれに対する注釈的テクストの関係
    ⑤アルシテクスト性:テクストとそのジャンルの関係
  • [285] 「「エッセイスト」という単語は、ひと足さきにイギリス文学に現れたあと、フランスでは1830年代になって逆輸入的に使われ始めるのだが、これは専門的にエッセイを書く職業が、近代市民社会に定着してきたということも意味している。」
  • [285]「注意を喚起しておきたいのは、たとえば『枕草子』、『徒然草』、『方丈記』といったおなじみの神名である。誰もが日本の「三大随筆」として親しんでいるはずのこれらの作品には、肝心の「随筆」という語はひとつも使われていないからである。書名にこの語を冠した作品としては、ようやく室町時代になってから一条兼良の『束斎随筆』が登場するが、その内容はむしろ説話集と言うべきであるし、中国に目を向けてこの語を冠する代表作を探してみても、南末時代の洪邁による膨大な補記『容斎随筆』は文献書誌の考証学といった色彩が濃厚である。
     いっぽう「随想」という語の定着は、古来の「随筆」にたいし、かなり遅れていると言わねばならない。戦前では新渡戸稲造の『随想録』(1907)や、東京朝日新聞経済部変の『経済随想』(1927)、また萩原朔太郎、正宗白鳥、長谷川如是閑など六十人近い作家の文章を集めた大草實編の『読書随筆』(1938)といった国内の著者も存在してはいるが、この語が本格的に社会に普及するようになった契機としては、1930年代からジイドの『思索と随想』(1933)や、『パスカル随想録』(1934)モンテーニュの『随想録』(1935)などの翻訳・紹介が開蛉されたことがやはり大きいだろう。
     それゆえ、こうした日本における「エッセイ」概念の受容史もふくめて、われわれが同時に練り上げてゆかねばならないのは、「随筆とは何か」という問いの問いかたであることはもはや言うまでもあるまい。」