嗚呼...。やっちゃった.....
こんなの↓をだしちゃうべく準備されておった、という訳だったのですねぇ。西垣大先生は。
- 作者: 西垣通
- 出版社/メーカー: NTT出版
- 発売日: 2004/02/01
- メディア: 単行本
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さっき買って、ざくざくと読みました。読んでしまいました。
で、「嗚呼.....(ノД`)」です。
内容は、例の昨年の『思想』掲載論文と変わりません。
何か「変わった」ところ「付け加えられた」ところもないので、論文と著作の関係を表す適切な表現は、「膨張」でしょう。
論文で既にあらわになっていた、謎の出発点=前提=バイアス:
- 情報学には生命論が必要だ
- 情報学には階層論が必要だ
は、──論文と同様──単に前提にされているだけで、それ自体が解明の対象にはなっておらず、したがって=そうであるがゆえに、無根拠なままに単に主張されているにずぎず、したがって=そうであるがゆえに、参照される様々な先行理論(含むルーマン理論)も、あまりに強いバイアスのもとで激謎なモディファイを受けたうえで、批判的に受容とかされちゃってる罠。
ま。それはべつにいいんですが。
「問題」は。です。
こうしたものを見てしまった場合の、我々(←誰?)の側の対処策のほうにあるのであります。
つまり。
西垣本を読めばあなた(←誰?)の口からもこぼれるであろう
「嗚呼.....(ノД`)」
という嘆息は、たとえば、
進化学者が 竹内久美子の著作を読んで漏らす「嗚呼.....(ノД`)」
や、
歴史学者が 梅原猛の著作を読んで漏らす「嗚呼.....(ノД`)」
や、
(以下略)
と、“おなじもの”だと思うのですが、こうしたものに邂逅してしまった場合に、ど-の-よ-う-な-応-対-が-適-切-な-の-か、ということ。──これであります(© 渡辺二郎)。
「あのー、西垣先生、こことこことこことここと(略)のルーマン解釈が変ですが...」といったいちいちの批判をして差し上げることに意味があるのは、そもそもこの著作に「意味がある」場合だと思うのですが、しかしそもそもこの著作、
で?
これ──基礎(゜Д゜)? 情報学(゜Д゜)ハァ?──いってみて、
マスメディア研究にどんな・なんの寄与したことになるんですか?
という点が既に激謎な訳でして、その点でいえば、コストをかけて批判をしてみても「学問的価値」にはつながらないわけですよ。ぜんぜん。
そんなもののために、誰が「貴重な自分の研究時間」を割いて応対すべきだといえるのか。
しかし/ならば、「放置」ということでよいのか。
しかしやはりそれも──ふたたび竹内&梅原(以下略)の場合同様──悩ましい選択なのではないか。
といったことを考えてみると、いまのところまず我々(←誰?)にできるのは、
で済むことを神に祈る、ということになりましょうか。
嗚呼.....(ノД`).......ナヤマシヒ.....。
【目次】
- 序にかえて
- 第1章 基礎情報学
- 1 基礎情報学
- 2 生命情報/社会情報/機械情報
- 3 生命と機械
- 4 言語から情報へ
- 第2章 情報の意味解釈
- 1 意味と価値
- 2 生命システム
- 3 心的システム
- 第3章 情報の意味伝達
- 1 メディアのつくる擬制
- 2 近代社会とマスメディア
- 3 社会的記憶
- 第4章 総括と展望−マスメディアとインターネット
- 1 生命/社会/機械の情報学
- 2 新たな社会システム
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