縮限。
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がんばれ。
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おうちにある本を読むよ。シリーズ。
第4章「福祉国家:政治的包摂」: 「機会の不平等」が問題化できるようになるための社会構造的・論理的な前提、それは 機能分化(つまり包摂)だよ
。
福祉国家とは 実現された政治的包摂である。[p.25]
そこでは、万人にとっての社会的安寧の最低基準の保障と継続的な引き上げだけでなく13、一定の状況におちいればだれにとっても切迫したものになりうる、各種の特殊問題も重要になる。だから福祉の向上は、一般的な最低水準を引き上げる方向だけでなく、つねに新しい問題を──日曜ヨットマンのための安全な船着場、公衆トイレの温風ハンドドライヤーなどを──公的課題として発見する方向へも進む。
さらに突き詰めて考えると、この考察は教育と政治の分化にいきつく。教育は利害関心の発達にかかわり、そのために教育固有の包摂原理と包摂メカニズム(とりわけ普遍的な就学義務)を用いることができるのに大して、政治は、「形成された利害」にしか対応できない。何の利害も示さない人々に対しては──これは青少年や高齢者の問題でありうるのだが──政治的努力をしても場違いである。ここで政治的包摂の内在的限界につきあたる。それとともに、[政治の、]経済・教育・社会階層の領域における発展への依存の徴候につきあたる。[p.28]
★上で省略した箇所。この最後の一文は何をいっているのだろうか=ここで念頭に置かれているのはどんなことだろうか。
ここであらためて、17世紀に 利害 の概念が政治の概念に導入された理由を振り返ることは、やる価値がある18。
- 内容的に問題となるのがなんであれ、利害は利害関係者だけが判断することのできるものである。[‥] [当時、]まさにそこから、「利害関係者を政治的な意思形成に参加させる必要がある」という結論が導かれた。
- 受動的(→権利保障)なだけでなく能動的(→民主主義)でもある政治的包摂は、この自己言及的な利害の概念を前提にしていた。
- のちになってはじめて、全国民が包摂されていく過程で、また政治が面倒をみる領域がしだいに拡張していく過程で、市民が「一人前であること」についての疑念がでてきた。
- [社会科学はこれに対応したし拍車をかけた。]
- 万人が、注目に値するすべての不平等[ex.教育の不平等]の除去について、固有の利害をもっている、などと本気で前提にすることはできない。
利害をもつ(だけでなく、定式化し貫徹することができる)能力が不平等に配分されていることは依然として問題である。- だが、不平等の除去を目標にした福祉国家の計画が作用する領域は、仮定された利害のためになるように推進することのできるすべての事柄と比べると、きわめて狭い。[p.27-28]
- Gunn, Politics and the Public Interest in the Seventeenth Century (Study in Political History)
- Raab, English Face of Machiavelli (Study in Political History)
- Wolfgang Hirsch-Weber, Politik als Interessenkonflikt
- Neuendorff, Der Begriff des Interesses
- ハーシュマン, The Passions and the Interests: Political Arguments for Capitalism Before Its Triumph→『情念の政治経済学 (叢書・ウニベルシタス)』
【追記】20070918 22:50
わかんなかったのでフォーラムで聞いてみた。回答をいただいたので、あとで追記。>俺
ハーシュマンにはたくさん邦訳があるけど、研究書があるのは知らなかった。読んでみよう。
おうちにある本を読むよ。
モラリストの政治参加―レイモン・アロンと現代フランス知識人 (中公新書)
よーし、パパもクオリア身に着けちゃうぞ〜
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