- [序]
- I [意味の機能分析と意味構成システム。予備考察]
- II [体験の処理形式としての意味。否定の機能]
- III [意味と情報の区別に基づくコミュニケーションと経験の再定義]
- IV [意味の三次元]
- V [小括:社会次元における偶発性について]
- VI [意味境界]
- VII [体験と行為]
- VIII []
I [意味の機能分析と意味構成システム。予備考察]
「構成」
p.35
構成 Konstitution という言葉で考えられているのは、
- 意味は つねに限定可能な諸連関のなかであらわれること、そして同時に
- 意味は それが属する連関を超えて指示すること(つまり他の可能性を表象可能にすること)
である。[…] 理解すべき事態、構成の概念において把握すべき事態は、
- 選択的に凝縮される秩序 - と - 開かれたほかの可能性 との関係 であり、しかもそれは
- 相互に-自らを-条件付けあっているものの関係、
- ただ-共に-可能であるものの関係
である。
II [体験の処理形式としての意味。意味の機能分析。否定の機能。]
長らく社会学は「意味」を、「思念された意味」として、「行為」に関わらせて──「行為の属性」であるかのようにして──扱ってきた(第1論文IV 参照)。それに代えて ここでは、「体験の処理形式としての意味」という論点が導入される。
明記すべきことは、意味概念が人間の体験処理の秩序形式を指すということである。意味概念は世界の切り取られた部分として特定することはできない。それ故に、意味問題への直接的・無前提的通路を切り開くのは、意味的体験において実際に与えられている事柄の 現象学的記述である。
VII
p.80
今日一般には自明のように社会学をだれもが社会的行為の科学として理解している。... このような前提を承認することによって、社会学は意味をもっぱら 行為の意味 としてとらえるのである。このようにして社会学は他の意味科学から境界づけられるし、また例えば事物の意味とか行為から切り離して考えられるシンボルの意味とかに社会学は関わらなくともよいことになる。...
p.84
... 科学の境界付けという理由で行為概念を優先させ、体験をもっぱら行為の準備状態ないし動機付けという二次的機能において視野に入れながら行為概念を支配的な基礎概念として用いることは、この種の問題への接近を遮断するものである。その結果として一方の行為理論ないし行為システム理論と他方の知識社会学という、併存する専門全般に関わる社会学理論の基礎付けの要請が生じ、この競合についてもはや社会学理論の枠内で決定することができなくなる。[だからそのやり方はやめて]社会学理論の基礎概念の発端を意味概念にまでさかのぼり、意味概念から体験と行為を同等の、機能的に等価の、しかし異なる種類の縮減の仕方として導きだしてくるのであれば、そのようなディレンマは避けられる。それと同時にすぐれて社会学的なアプローチによる研究、すなわち、何故に社会学はその特殊な対象である社会的システムを行為システムとして把握するのかという問いについての批判的吟味と基礎付けの可能性もまた、その場合には提供されることになる。