【( ´∀`)著者さんと】大黒本【語ろう(°∀°)】

昼食。合評会準備スレ。
isbn:4757101996 第3部&第4部。


■大黒さんに尋ねてみたいこと: 「可能的なもの」はいつどんなときに「亡霊」デスか。
(「亡霊存立の可能性条件」とは? 「可能的なもの」と「亡霊」はどう違う?)

□文例集:
  • 文例1:ひとつの亡霊がヨーロッパに徘徊している。共産主義という亡霊が。
  • 文例2:ひとつの妖怪がヨーロッパに徘徊している。共産主義という妖怪が。
  • 文例3:ひとつの精神的なものがヨーロッパに徘徊している。共産主義という精神的なものが。
  • 文例4:ひとつの反復可能性がヨーロッパに徘徊している。共産主義という反復可能性が。
  • 文例5:ひとつのイデア的なものがヨーロッパに徘徊している。共産主義というイデア的なものが。
  • (以下略)




■メモ: 〈システム/環境〉の複数性と〈意味/世界〉の普遍性について
「システム」概念の導入時点(60年代中〜後半)において、すでにこう謂われていたわけなのでして。

[8] まずは、社会的システムとは複数の社会的行為の意味連関であり、これらの社会的行為は互いに指示しあうことで、この連関に属さない行為からなる環境から区別されている、と考えることにしよう。このシステム概念は内部と外部の分化を構成原理とするものであるが、我々としてはこれを出発点にした上でそれを超越しようとするわけだから、必要なのは もはや何の境界も持たないような参照単位を見つけること である。そのような参照単位、それは世界である。 世界は「外部」を持たないため境界も持たない。それゆえ世界をシステムとして概念化することはできない5。[…]

(5)システムの古典的な定義、つまりシステムとは諸部分からなる全体であるとする定義では、環境が言及されていないので、世界概念とシステム概念を区別すること が不可能である。このシステム定義は、世界を存在者の総体として捉えようとする世界概念と対応するものであった。機能的な問題設定を徹底するには、その前提としてこの種の存在論的な概念系を突破することが必要である。システム概念と世界概念の関係について考えることができるためには、まずこの両概念を区別することができなければならないからである(この発想は Rombach [1965-1966*]と真っ向から対立するものである)。そのための準備作業が、Edmund Husserl現象学的哲学に見られる。特に、志向可能な意味的同一性とすべての体験の地平との区別は、世界を普遍的地平として定義することを可能にするという役割を演じている。この点についてはHusserl [1948: 23 ff.]、および遺稿を用いた Brand [1955*: esp. 9 ff.]を参照せよ。
* ハインリッヒ・ロムバッハ『実体・体系・構造―機能主義の有論と近代科学の哲学的背景 (MINERVA哲学叢書)
** ゲルト・ブラント『世界・自我・時間―フッサール未公開草稿による研究

[「社会的システム理論としての社会学」(1967)in Soziologische Aufklaerung 1: Aufsaetze zur Theorie sozialer Systeme(みたに訳)]

この引用文では直接には「システム-と-世界」の区別が話題になってますが、それは、〈システム/環境〉-と-〈意味/世界〉という二つの区別1の関係として整理・対照することができます。
(なの)で。

  • この「システム-と-(意味という)メディア」というペアは*、語用をさておけば、ルーマンのテクストに「後期になってから」登場して来たわけではありません。
* ついでにいえば、「システム理論-と-現象学的な)機能主義的方法」というペアは。
  • 引用文に見られるように、この二つの区別は交差するのであって、「矛盾」するわけではありません。(こういった方がいいか。それは矛盾する区別なのではなくて、違う区別2なのです。)
(注略)