ブルデュー「4国家精神の担い手たち──官僚界の成立と構造」

「国家による精神の構築」

 国家権力の最も特殊なありようを理解するためには、すなわり国家が行使する象徴的有効性の特殊な形態を理解するためには、[...] 伝統的に相容れないと考えられている知的伝統を同じ説明モデルのうちに統合しなければなりません。社会関係を物理的力の関係ととらえる社会的世界の物理主義的ヴィジョンと、社会関係を象徴的力の関係、コミュニケーションの関係としてとらえる記号学的ないし「サイバネティックス的」ヴィジョンとの対立を、まず乗り越えなければなりません。[...] 社会的主体は 社会的世界を認識構造(...)を通して構築するのであり、その認識構造は世界のあらゆる事物に、とりわけ社会構造に適用されます。
 こうした認識構造や知覚カテゴリーなどの構造化する構造は 歴史的に構成された形式であり、[...] その社会的発生はあとづけることができます。[...] 差異化が進んだ社会では、国家が一定の領土的管轄内で普遍的に、ノモス(...)を──共通の認識と識別の原理を、同一ないし近似した認識と評価の構造を──押し付け教え込むことができます。それゆえ、国家は「論理的順応主義」と「道徳的順応主義」(...)の基礎になります。「共通の意味世界」としての世界経験の原理としてはたらく、世界の意味に関する前反省的で直接的な黙契の基礎には、国家があります(「共通の意味世界」としての世界経験を明るみに出した現象学も、日常生活の記述を目標としたエスノメソドロジーも、それを基礎づけ明らかにする手段をもっていません。彼らは、自分が解明に努める社会的現実の構成原理が社会的にいかに構成されたかという問いを提起しておらず、社会的主体が社会秩序に適用する構成原理の構成に国家がいかなる貢献を果たしたかについて問うていないからです)。[p.151]

「差異化」って分化のことでしょうかね。