- 作者: 高橋昌一郎
- 出版社/メーカー: 丸善
- 発売日: 2002/01/01
- メディア: 単行本
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というのは、今日ではほぼ常識に属するところ。
ところで、その指摘に続けて、(まことにごもっともにも)
科学は、単一の判定基準で分類するには複雑すぎる認知体系だから[‥]科学と擬似科学の判定基準も、多様な要因にもとづく分析を含むものになる[p.31]
と述べつつ著者の提示する表[p.32]を見てのけぞる:
表2-1 科学と擬似科学の判定基準 要因 科学 擬似科学 人間 ・自己の無知を認めることから、さらなる研究の必要性を感じる
・高度な専門的知識を有する
・社会的に認知された大学・研究機関・学会などの公的組織に所属する・自説を信じることから、その流布の必要性を感じる
・専門知識の欠如あるいは変調がみられる
・社会的に認知された公的組織よりも、自ら私的組織を設立する傾向がある知識 ・過去・現在・未来にわたって恒常的に観測可能な「現実的存在」を対象とする
・自然現象と自然法則に起因するすべての問題が対象になる
・知識の更新や進歩がみられる・テレパシー・透視・念力といった、恒常的には観測不可能な「非現実的存在」を対象とする
・いかにして他者の心を読むか、未来の運命を知るかといった、超自然に起因する問題が対象になる
・知識の更新や進歩がみられない社会 ・技術革新や産業開発など、長期的な理由によって社会から支援される
・理論の応用によって産出される製品は、一般大衆の生活環境に多大な影響をもたらす
・軍事開発や遺伝子工学など、人類の存亡に関与する可能性がある・マスコミ性や収益性など、短期的な理由によって許容または黙認される
・一般大衆の生活環境に影響を与えるような製品には応用されない
・カルト宗教や詐欺事件など、公序良俗に関与する可能性がある。
‥‥これでまだ半分にもなっていない*1のだが、ともかく この表がどうやって導きだされだのか、そしてどういういみでポパーの「反証可能性」の修正になっているのか、私にはちょっと想像がつかない。「参考文献」には次の論文が挙げられていて*2、そこでは論じられているのかもしれないが──そしてまた、啓蒙書であるこの本で その点が詳細に論じられていなくともかまわないとは思うが、いずれにしても──しかし、望みは薄そうだなぁ、と予想。ポパーの議論は、科学(のwork)のうちのどの(手続き的)側面*3と結びついているかが 示されていたが、この表は、そうではない(「人間」「知識」「社会」〜といった「要因」をどうやって選び出したのかが、そもそも問題)。なので、「印象」にもとづく以外に──つまりどんな論証にもとづいて──、どうやってこの表(の各要素)が導きだせるのかが想像できないのだった *4。
[内容]
1 科学と哲学
2 科学と擬似科学
3 科学と論理
4 科学と方法
5 科学と信念
6 科学と社会
7 科学と欺瞞
8 科学と権威
9 科学と文化
10 科学と言語
11 科学と文学
12 科学と反科学
*1:このあと「誠意」「理論」「学会」「実験」「論争」「権威」「出版」と続く。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/front/books/books17.html
に全セルの引用があったので、「続き」はそちらをご覧いただきたい。
*2:「社会学者ザイマンの分類した科学の十要因に対して、哲学者マリオ・ブンゲの基準を適用し、‥‥」[p.31] とのこと。するとポイントは「ブンゲの基準」だが、残念ながら(というか困ったことにどちらも)文献が挙げられていない。
・「ザイマンの」というのは、たぶん ASIN:4794201184 か ASIN:4431706895 か ASIN:4805202262 なんだろうけど。
・ブンゲは1984年に「疑似科学とは何か」という論文をだしているようだが、これは(たぶん)邦訳がない[ので読んだことがない]。ちなみに著作のいくつかは邦訳があるが、一番最初に出た ASIN:4000000861 の訳は──訳者は「高名な」哲学者だが──かなりヒドい。
*3:(「発見」の側面から区別される)「正当化」の手続き、という側面。「反証可能性」は実験指針など与えないし、それどころか実験室における活動のほとんどと関係がない。
*4:もっとも、あとの頁では「対照表の意図は、科学と擬似科学の識別に多様な要因が必要とされるという点にある」[p.63]と述べられている。なるほど、そう言われてしまえば もはや返す言葉はなくなるが、その主張=この表からは、「科学と擬似科学とを区別するのは 簡単なことではない」という含意も引き出せてしまうのだった。──まぁこれはこれで「あるいみ穏当」な主張ではあるかもしれないが(w。