シンポがあると聞いて。
気になりながらも(タイトルだけ見て*)素通りしつづけてきた本書をようやく手に取りました。
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第5章 科学的合理性と社会的合理性
なに言ってるのかわかんないけど 大事そうなので将来のために抜書きしておくね。p. 108
科学的合理性
科学的合理性とは、科学者集団の妥当性境界によって保証される合理性のことである。
社会的合理性
それでは、上で述べた社会的場面の妥当性境界(公共の妥当性基準)は、何によって保証されるのであろうか。ここでは、それを社会的合理性と呼ぼう。社会的合理性とは、「ある公共の妥当性境界を、社会的場面での判断の基準として採用する」判断を担保する、意思決定の仕組みのことを指す8。
8 ここでは、Rationality(合理性)と validation-boundary (妥当性境界)とを分けて論じている。として議論をすすめている。
- 妥当性境界は判断基準(根拠)を示し、
- 合理性は その複数の判断基準から何を「選択」するのかの根拠
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第6章「状況依存性」
pp. 121-122
()内の英文と、その外の日本文はどう対応してるんでしょうか。
状況依存(あるいは状況随伴)という考え方は、経営学そのほかでも用いられるようになってきている。経営学あるいは組織論においては、時々刻々変化する環境条件に「随伴」する最適な組織を組むことが議論される。より良い組織は、変化する状況や環境によって異なることが主張される。これに対し、科学論における Contingency の考え方は、科学的事実の主張とは常に、科学者共同体のなかで同意されたある理想的成立条件に「状況依存」する(Scientific ideas are contingent with conditions.1)というものである2。
注1 たとえばセティナ(Knorr-Cetica) は状況依存性を、those of natural science occur localized in special setting と表現する(1994*, p. 150)。Lynch(1991**)は、topical contextures と表現する。あるいは、situatedness of knowledge と表現されることもある(Knorr-Cetina, 1994, p. 163)。
注2 社会的文脈によって組織の構成が異なる、という経営学の主張をそのまま科学的知識に応用すると、社会的文脈によって知識の構成が異なる、という主張になる。これは社会構成主義の一部の主張ではあるが、ここではこの立場は取らない。知識は、その根拠となるデータが「取られた条件」に状況依存するのである。もちろん、社会構成主義には、このデータの取られた条件を、社会的文脈と形容している傾向もある。しかしデータの取られた条件と社会的文脈の間にはギャップがあり、このような形容は誤解を招く。
- Knorr-Cetina, K. D. 1994 Laboratory Studies: The Cultural Approach to the Study of Science, S. Jasanoff, et al. (eds) Handbook of Science and Technology Studies, California; Sage.
- Lynch, M. 1991 Laboratory Space and the Technological Complex: An Investigation of Topical Contextures, Science in Context, 4 (1), 51-78.
いくつか事例紹介をしたあとでのまとめは次のとおり。p. 125
この、「科学的事実は、科学者集団内部の方法論的真偽テストにのっとった、つまりジャーナル共同体の査読基準に合致する、理想的条件、前提条件のもとで成立する」=「Scientific truth is contingent with conditions.」という性質を 知識の「状況依存性」と呼ぶ(Jasanoff, 1992)。