涜書:マーチ&オルセン『組織におけるあいまいさと決定』

バーナード『経営者の役割』ようやく発見。てのはともかくとして本日のランチは。

  • 第1章 あいまいの下での組織の意思決定(ジェイムズ・マーチ+ヨハン・オルセン
  • 第2章 参加者、問題、解と関連性のあいまいさ(ミッチェル・コーエン+ジェイムズ・マーチ+ヨハン・オルセン
  • 第3章 注意とあいまいな関心(ジェイムズ・マーチ+ヨハン・オルセン
  • 第4章 組織の学習と過去のあいまいさ(ジェイムズ・マーチ+ヨハン・オルセン
  • 第5章 テクノロジー・オブ・フーリッシュネス(ジェイムズ・マーチ)
  • 第6章 ゴミ箱状況におけるイデオロギーとマネジメント(クリスチャン・ライナー)
  • 第7章 ゆらぎの過程、意思決定における地位と出欠(ジェイムズ・マーチ+ピエール・ロムレアー)
  • 第8章 ゴミ箱としての組織再編成(ヨハン・オルセン

5章まで。「欠如論的」な著作=モデル構築を目指した著作、だった。

「欠如論的」というのはいま思いついた言葉。「足りない系」でもいいかな。下で敷衍します。
1979年に書かれたこの本を、30年代終わりに書かれたバーナードの本を想起しながら読んでみると、いろいろと考えさせられるものがある。
以下、思いつきを暫定的見解として書いてみるテスト。

バーナードが 『経営者の役割』を書いたとき、彼の前には使えるモデルが少なくとも二つ(あるいは三つ)はあった。

    • 【E】「最適化」によって組織を記述する経済学的なモデル
    • 【L】「ルール」(や「権限と責任」など)によって組織を記述する法学的なモデル
    • (【P】「支配」によって組織を記述する政治学なモデル)

これらのどれもが「合理性」の定式化に使えるし、使われて来た。
【1】しかし、バーナード自身は「ほかになにかないのか?」という問いをたてたのではないか。

エールリッヒが参照されるのは、おそらく「法学的モデル以外に何かないのか?」という問いと関連して、のことではないかと思うのだが、この点については、あとで『役割』を再読する際に、確認しよう。>俺
【2】他方で彼は、実務家として当然のことながら、組織における「非合理な」側面にも気づいており、少なくとも「非合理なもの」の記述も、課題の中には入れてあった。
が、それに自分で取り組むことは ほとんどできず、あとから来たサイモンが、この問題に(部分的にではあれ)取り組んだ、ということなのだろう。
サイモンのアプローチは──よく知られているとおり──、【E】「最適化」アプローチの延長線上にある(=合理性を限定した上でモデルをつくること)。 しかしこれは、もともとはバーナード自身が用意した方向である。
たとえば、
つまり。
結局のところバーナードは、【2】に取り組むなかで、【1】を求めながらも、結局は【E】を「選択」した ‥‥といえるのではないか。(おそらく「ほかにやりよう」がなかったから。)




このアプローチをとった場合、【E】から出発して【L】や【P】を包摂(あるいは少なくとも、それらに「対抗」)するようなモデルを作れ、というのが課題になる。

たとえば、組織における「支配」を「所有(権)」にもとづいて「説明」したりするのは【L】戦略と呼べる。




これはこれでよい。
よいのだが。
バーナードが最初に見ていたかもしれない光景を想像してみたとき、