夕食。これは学部生の時に読んでおきたかった....、と激しくおもた。
- T.M.ポーター、『統計学と社会認識:統計思想の発展1820-1900年』、長屋政勝訳、4,200円、梓出版社、ISBN:4872624033、1995/07
第一部 社会的な計算
- 第1章 社会科学としての統計学
- 政治算術の政治学
- 胴体的な社会についての数
- 第2章 カオスを支配する法則
- ケトレーと社会の数量的規則性
- リベラルな政治学と統計的法則
- 第3章 自然の壺から保険会社のオフィスへ
第二部 不合理なものの至高の法則
- 第4章 人工の誤差と自然の誤差
- ケトレー:誤差と変異
まで。
物理学科の学生だと、大学にはいってすぐに物理学実験の授業が始まり、そこで真っ先に「最小二乗法」を習うことになる。
たぶんそれぞれ独立には理解できていたはずだが、どちらにも出てくる「分布」という同じ言葉がどう同じなのか、当時はちゃんとは理解できていなかった気がする。
19世紀初めの最新の統計数学は、天文学、およびその周辺で使われていた誤差論から発展したものの、統計的推理のもっとも生産的な適用が行われたのはこの分野以外のところでであった。確率変数が、測定と観測の不完全さを表現するために作られたものであった限り、変異に関しては、それを推定し、その影響をできるだけ除去する方法を発見する事以外には、ほとんど何も行われえなかった。近代統計学の源泉は、誤差を分析した事にではなく、むしろ自然、および社会に現実にみられる変異を捉え、分析する為のモデル的道具として確率を利用した事に見いだされるべきである。
注目すべきことに、変異自体を分析するのに確率が使われだしたのは、社会統計学においてであった。19世紀半ばには、偶然の計算のもっとも確かな適用分野は統計であるように思われていた。[‥] 確率論内部での、誤差から変異への関心の移動は、一般的な形では、確率の頻度的解釈の中に既に見いだされる。しかし、この関心移動のうち、数学的統計学の発展に関係のより深かったものは、人口集団における特性の分布に関するケトレーの洞察であった。彼の考え方は、社会統計学と数学的統計学の間のもっとも重要な、特有の結びつきを示している。[‥]
ケトレーが注目したのは確率誤差関数である。ゴールトンはこれを「不合理なものの至高の法則」とよんだ。ガウス分布、あるいは正規分布として知られるこの曲線の歴史は、19世紀においては、数学的統計学の歴史と、事実上、平行している。またこの曲線を、誤差の法則であるよりは変異自体の法則であるとする解釈修正は、19世紀統計思想の中心的な成果であった。この修正は漸次的に行われたが、その過程は創造的誤解という趣を呈していた。ここでもまた、主導したのは社会思想であり、その自然科学への影響も顕著であった。発展の主要経路はラプラスからケトレーへ、ケトレーからマクスウェルとゴールトンへ、であり、また人口学や天文学における平均の誤差から偏差へ、理念的平均人との偏差から気体分子の速度分布と種族における生物学的変異の遺伝へ、であった。統計的思考のこのような発展経路により、最後には誤差分析の方も変化を被る事になったのである。[p.109]
一言じゃない、と。
ではこんな感じでどうか。
、と。
その一言があれば──その違いを理解するのには、いったん数理統計学の外にでてみるとよい*2というのがわかれば、あるいはせめて「君の疑問は歴史的に由緒正しきものである」と背中を叩いてくれれば──、その場で「19世紀統計思想の中心的な成果」を把握(しようとする努力を)できたのに。
ところでこの本、数式も図の一つも出てこない*5。いちいち「どんなんだっけ?」と思い出そうとしてしまうので目の動きがとまってしまう。読みにくいことこの上ない。