涜書:佐藤『社会調査史のリテラシー』

遅ればせながら。ようやく読みはじめた。

社会調査史のリテラシー

社会調査史のリテラシー

  • [2011] まえがき
  • [1992] 01 日本近代における都市社会学の形成
  • 02 モノグラフィの都市認識
  • 03 東京市社会局調査を発掘する
  • 04 コミュニティ調査の方法的課題
  • 05 ライフヒストリー研究の位相
  • [1996] 06 量的方法と質的方法が対立する地平
  • 07 コミュニケーションとしての調査
  • [1998] 08 内容分析とメディア形式の分析
  • 09 調査史のなかの『都市の日本人』
  • 10 調査のなかの権力を考える
  • 11 厚みのある記述をつくる
  • 12 国勢調査「美談逸話」考
  • 13 社会調査データベースと書誌学的想像力
  • 14 テクノロジーと記録の社会性
  • 15 図を考える/図で考える
  • [2003] 16 『社会調査ハンドブック』の方法史的解読
  • [2003] 17 「質的データ」論 再考
  • [2003] 18 社会調査のイデオロギーとテクノロジー
  • 19 地域社会に対するリテラシー
  • 20 都市を解読する力の構築
http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1219-1.htm

■メモ
18章に、著者自身による一連の「質/量論争」へのコメンタリーに関する自家レジュメあり。

16 『社会調査ハンドブック』の方法史的解読

2003年。p.419

表1 対比表の落とし穴
量的方法質的方法
多数の分布
固定した問い
相関係数
仮説検証
1ケースの凝視
自由な問い
意味的な連関
見出された意味
問題発見
フォーマル
エクステンシブ
法則定立的
要素還元的
一方向的
表面的
連続的
数値的
科学的
確かだけれども面白くない
etc...
インフォーマル
インテンシブ
個性記述的
全体連関的
対話的
深層的
カテゴリカル
言語的
職人(名人)芸的
面白いけれども確かでない
etc...

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17 「質的データ」論 再考

見田-安田による「質-量論争」の検討。安田の見解(1965年)。p.450-453

社会調査論の四つの意味
 …
 安田三郎は、戦後日本の社会調査論の論点整理の冒頭において、わが国では
  • 「現地調査(を中軸とする一次的資料の収集」だけに限らず、分析作業までを含めて「社会調査」と呼んでいるのに加えて、
  • 実際に行われた社会調査の内容と方法
とをともに「社会調査」と呼ぶ習慣が成立してしまった。そのため、「社会調査論」には四つほどの意味がかさなりあって使われていると指摘している。
 安田の主張を私なりに整理しなおして並べかえれば、
  • 第一は「調査動向論」で、社会科学的研究調査の「内容」に関する議論である。この意味での社会調査論は、内容の論評や評価が含まれ、広く実証的な諸研究のレビューにまで広がってゆく。
  • 第二は「調査技術論」である。社会調査法のテクストに乗せられているサンプリング法や参与観察の説明など、諸技術のノウハウやその前提となる観察・収集をめぐる知識を指す。
  • 第三の意味は「調査分析論」ともいうべき水準である。データ分析に関する議論に重点をおいたものであって、解釈を生み出すにあたって利用されているさまざまなデータの集約・加工・処理の方法と論理とを指す。
    統計学で言えば統計解析にあたると説明しているところをみると、デュルケームの共変法のような論理学から相関係数の計算のうえに立てられた様々な解析手法などに焦点を当てたかったのだろう。この種の分析技法の議論は「統計学においては行われていても社会調査論の分野では非常に少なかった」けれども、アメリカの社会学では社会調査論の中心をしめつつあるという。

この三つに加えて、「社会調査論」の位相をとりわけ複雑にしている第四の意味が、「方法論」についての議論である。

  • … 社会学はいかに可能かという学問論すなわち「社会学方法論」が、ここで付け加わる。社会学史風にいえば、一般法則の解明を目指した「総合社会学」から、理論的対象の具体的な定立を重視する「特殊社会学」への展開の中で、あるいは「理論の社会学か」「現実科学化」というなかで問われた問題である。
「理論と調査」もしくは「理論と実践」という分割線

 この「社会調査」の技術論と「社会学」の学問論という二つの水準の混在は、戦後日本の「社会調査論」の領域に固有の困難を生み出した。
 …
 安田三郎がえぐり出してみせた「社会調査論」の四つの意味は、[当時の社会学の]実態の観察に根ざす分類である分だけ、この歴史状況下での「質的なデータ分析の方法論」の位相の説明に役立つ。しかも、すでにこの位相において、安田が論じた「社会学方法論」と社会調査論」の区別・切断の必要という立場と、見田の「それ自体の課題に照応する論理によって明確化すべき」方法論の必要の主張とが、微妙にずれていたことが浮かび上がるからである。

以下どんでん返しが続きます。

「質的データ」としての実体化

p.458

 …
 実体論的な誤読のもとでは、研究者の「分析の方針の函数」という関係論的な規定性も、テクストの「存在形態それ自体の社会性の解読」という関係論的な規定性も、双方ともに見失われていく。データそれ自身に内在する社会性の方法論的基礎付けの問題であるはずが、「データ」の実態性に囲い込まれるなかで、基礎づけという実践がもつべき共有の土台作りの力能が低下して入ったのである。
 その意味で、自由回答か選択肢か、インテンシブかエクステンシブかなどはすべて「研究者の研究方針にゆだねられている」のだから、「私はまず彼〔見田宗介〕がデータを所与のものとして、受動的にしか考察していない点に不満をもつ。社会学は社会調査によってデータを能動的に獲得する方法をもったのであって」という安田の批判は、その根本において逆立ちしている。「所与のもの」として考察することが「質的データ論」の構想した戦略であって、「所与」の相を積極的に考察する立場が成立しなくてはならないということが、その主張の中核に置かれているからである。

って そりゃいいんだけど。
でも、「所与の相を積極的に考察する」ことを徹底したら「単なるエスノメソドロジー」になってしまうので、たいていの社会学者には受け入れがたいことに……。