途中下車して寄り道。『リテラシー』ISBN:9784788512191 で取り上げられているのは第III部。
新版が出ているのを知った。
第 I 部 「社会調査」という問題 (山田一成)
- 01. 社会調査と社会認識
- 02. 具体的な知・抽象的な知
- 03. 仮説が生まれるとき
- 04. 社会調査が作る「現実」
第 II 部 見慣れない「日常」へ
- 05. フィールドワークを読む
- 06. 環境調査と知の算出
- 07. 都市空間と生活者のまなざし
- 08. 外国人居住調査の方法と課題
- 09. 文化のなかの階級
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- 10. 世論調査の政治力 (山田一成)
- 11. 視聴率調査の「過剰」と「貧困」 (山田一成)
- 12. 人口調査の意義と人口問題
第 III 部 「方法」から見た調査 (佐藤健二)
- 13. 問うということ
- 14. 対象を設定する
- 15. データの収集
- 16. データの処理
- 17. データの分析
- 18. 書くということ
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p.36。「理論」とはなんでしょう。
マートンは、理論から経験的研究にどのような貢献が可能であるかという視点からの議論を行っているが、その際彼は「理論」という言葉が次のような互いに異なる意味で使われていることを指摘する。
- 方法論
- 一般的方針
- 概念分析
- 事後解釈
- 経験的一般化
- 社会学理論
の六つである。
一発目で「方法論」が出てくるところですでに吹いた。
数頁あと。p.44
この指摘、III部末尾の(このエントリの下に引いた)ところと同じこと──「経験的一般化は 理論ではない」──言ってるんだけど。著者間の擦り合わせとかしないの?
…
マートンは経験的研究が仮説の経験的一般化を目標として行われ、中範囲の理論はこうした経験的一般化の積み重ねの上に構築されるというのだが、
石川淳志(1980, 1984)が指摘するように
「経験的一般化」はあくまでも経験的一般化であり、そこでは「記述的」ではあるが「説明的」ではない一般化が行われているにすぎ
ず、理論構築のためには
ただたんに「つみ重ね」などという以上の固有の論理がなければならない(石川, 1980:63)
のである。
これは泣ける。p.91
ある地域で住民の意識調査を行っていたとき、返送されてきた調査票に次のような文章が書き添えられていたことがある。
そちらのお役に立てるように、また、できるだけ地域が よくなるように回答しました。
p.331
4. 説明するということ
経験的一般化と理論
経験的な一般化と、理論的な説明との微妙なしかし明白な違いについても触れておこう。いずれもが「分析」という語の範囲にあるのだけれども、混同すべきでない違いもある。
盛山ら(1992)は、多くの社会調査論のテクストが、経験的な一般化を理論と同一視する思い違いを犯していると批判する。
その意味では、理論的な説明は、経験的な一般化のような個々の現象をくくる概念の一般化とはレベルを異にする、概念間の説明-被説明関係の構築という認識論的な作業に、本格的に踏み込まなければ、現れてこないものであろう。「読む」ということの本源的な可能性もまた、まさしくそこにあるはずである。
要出典 。
いかなる権利があってこういうこと──説明力をもつもののみを理論と呼ぶ──を言うのであろうか。
権利を問うているだけであって、主張内容に異論があるわけではない(というよりもむしろ(基本的には)賛成である)。念のため。