社会の芸術祭:トドロフ『日常礼賛』

夕食。読了。chap04: p.688([43])

日常礼讃―フェルメールの時代のオランダ風俗画

日常礼讃―フェルメールの時代のオランダ風俗画

「写実」と「アレゴリー」。二つの相反する観点から評価を受けるフェルメール時代のオランダ風俗画。事情はどうなっておるのか。

そこで日常礼賛ですよ。


たしかに、玉葱をみじん切りにしている若い娘は、たくさんの選択の可能性を隠すと同時に明らかにしていて、そんな疑問があろうとは考えられもしなかった数多くの疑問を引き起こすのである![p.25]

じゃーん!



同時代のフランス人アンドレ・フェリビヤン氏(建築家・史料編纂官)の1669年に曰く:

風景を完璧に書き写す者は、果物、花、あるいは貝殻しか書き写さない他の者たちよりすぐれている。生きている動物を描く者は、動きのない静物しか描写しない者たちより立派である。そして、人間の姿は神がこの世でお作りになったもっとも完璧な作品なのだから、さまざまな人間の姿を絵にすることで神の模倣者となる者が、他のすべての人びとよりもはるかに優れていることもまた確かである。[p.9]

絵画の価値はその主題によって決まるのだ、と。
すなわち世界の秩序とは:

神 >>>>[越えられない壁]>>>> 人間 >> 動物 > 無機物・鉱物・植物