涜書:ミンツバーグ『マネジメントについて』

昼食。isbn:4478170258 2周目。
第2章「戦略を工芸制作する」


前フリ。「戦略」なる言葉のもっとも手短な説明。加えて、「マネージャーの仕事」についての研究と「戦略策定」研究とがどう関係するか、の手短な説明。ここで「ダーウィン的」と呼ばれているほうが、ミンツバーグ自身のスタンス。

 マネジャーが実行する比較的重要な物事の一つに、自分の預かっている組織のために戦略を策定するか、ないしは少なくとも、戦略を策定する際に自分や部下がたどる過程を監督する、ということがある。

    • 狭い意味で戦略策定とは、組織を市場のニッチに位置づけることであり、言い換えれば、どんな製品を、だれのために生産するかを決定することである。しかし、
    • 広い意味での戦略策定とは、組織と呼ばれる集合システムがその基本的志向をどのようにして確立し、また必要に応じて変化させるかということに関係したことがらである。

戦略策定はまた、集合的意図という複雑な問題を──多くの人々から構成される組織がどのようにして、いわば その心 というものをつくり上げていくかという問題を──扱う。
 戦略策定は興味深い過程であって、普通一般に戦略策定と結びつけて考えられている「計画立案」という一組の単純な処方をはるかに上回る要素を含んでいる。この主題は、わたしの研究経歴を通しての中心的関心事であった。わたしが博士課程の学生として1967年に発表した「戦略策定の科学」と題する最初の論文では、聖書的な「大計画」アプローチダーウィン的進化アプローチ と対比されている。わたしは今『戦略形成』と題する二巻からなる著作を書いているが、その基礎テーマは、この、主題への計画的なアプローチと創発的なアプローチを対比することにある。
[‥]
 わたしの考えは十数年にわたって発達してきたものであるが(‥)、論文「マネジャーの職務」の論調に似たものがここにもみられるはずである。この論文で提示されるのは、「計算された混沌」のなかで仕事をせざるをえないマネジャーたちが複雑な、そして必然的に集合的な戦略策定の過程に、現にどのように対処しているかの描出である。[p.37-8]

ここで「創発的」とか「その心」とかいった言葉を使っちゃうところがなんとも切ない。

単に、よくわからん・不適切な言葉を使っているのが気に喰わない、と言いたいわけではないのです。こうした不適切な言葉の使用が 研究をブロックしてしまっているようにみえるのがたいへん気になるわけです。
こんなことだから、研究を先に進める代わりに、「直観が‥」「暗黙知が‥」「システムではなく人間が‥」といった うわごと のような何か を語ることしかできなくなってしまうんじゃないのか、と。
いいかえると、こうした不適切な言葉の使用をみてしまうと、著者が、自分の研究したい事柄
彼自身の言葉を借りれば「組織における 行為と思考の結びつき
を扱うのに相応しい・適切な分析技術を持ち合わせていないのではないか と推察される、ということ。



 戦略とは何かと尋ねられたら、ほとんどだれもが

    • 一種の計画案、つまり未来の行動に対する何らかの明示的指標

と定義するであろう。そこで次に競争相手、政府、あるいは自分自身でもよいから、現実にこれまでどんな戦略を追求してきたかと尋ねてみるがよい。おそらく

    • 過去の行動の一貫性──ある期間を通してみられる行為のパターン──

描出するであろう。そこで判明するのは、戦略とは人々が一方であるふうに定義し、他方で別のふうに使用する、そのくせ、違いに気づかずにいる言葉の一つだということである。

 その理由は簡単である。戦略の正式の定義がどうだとか、語源がギリシャの軍事用語であるとかいったことにかかわらず、わたしたちはこの、言葉を、未来の意図的行動を描出するためばかりでなく、過去の行為を説明するためにも、必要としているということである。要するに、戦略は計画立案され、意図されるとともに、実際に追求され、実現されもする(もしくは実現されない)のである。そして過去の行為のパターン、すなわちわたしの言う実現された戦略は、そうした追求を反映する。さらにまた、計画案が必ずしもパターンを生むわけではないのと同様に(意図された戦略のあるものはまったく実現されない)、パターンが必ずしも計画案の結果でなければならないわけでもない。組織は知らず知らずに、ましてや明示化など思いもよらずに、パターン(実現された戦略)を発達させる。[p.41-44]

そこで概念分析ですよ。