ハバーマス・ルーマン『論争』

夜食。論争内反応リンク集作成。つづき。

システムの存立維持

  • p.387L

意味

  • 〈意味/情報〉:p.39L・p.43L→p.226H→p.392L
    ハバーマス:ルーマンは──通信・情報科学から距離をとるために──〈意味/情報〉区別を導入しておきながら、結局は〈意味〉を「選択性の上昇」という意味でしか捉えていないので、区別が無化されている。確固たる区別のためには言語理論が必要。
    ルーマン:〈構造/過程〉をごっちゃにしたら「矛盾」が出てきてあたりまえだろ。
  • 〈体験/行為〉:p.80L→p.249H→p.392L
    ハバーマス:〈体験/行為〉だけで「意味構成」の問題をカバーできない。
    ルーマン:おっしゃるとおり。加えて〈意味の三次元〉を考慮することが必要。
    ハバーマスによる「三次元」へのコメントは p.
    • →帰属:p.436L
      ルーマン:「意味構成」問題においては〈体験〉のほうが優位。だから「意味構成がもっぱら対話のなかで進む」などということはありえない。
    • →真理メディア・真偽コード:→p.269H→p.430L・p.469L
  • 〈意味/言語〉:→p.233H→p.391L

技術

  • p.195H→p.385
  • →→p.389L
  • 〈規範性/技術化可能性〉:p.69L→→
    • 真理メディアにおける図式化・理念化:→p.439L

〈システム/環境〉

  • →p.230H→p.407L
    ハバーマス:〈システム/環境〉の差異とは、伝統的な言葉で言えば、〈自我/非我〉のことだ。
    ルーマン:一番してはいけない誤解を....

しばらく作業を継続。


ハバーマスとルーマンは、双方ともに「〈間主観性〉にレリヴァント」な真理概念を考えている点では共通している。異なるのは、「〈間主観性〉の解釈」と「どんなレリヴァンスを考えているか」ということ。
ルーマン側の「真理」概念についての論点は3つ[訳 p.427]:

[‥] ハバーマスは間主観性理念化による解釈によって真理を定義し、またそのようにして、しかも専らそのようにして、実践的妥当性要求の真理能力を基礎づけうると考える。このつながりが、私にはよくわからないのである。[‥]
私は真理をコミュニケーションメディアの一般理論の脈絡の中で機能的に定義づけたい。そうすればこの理論の枠の中で

  • 第一に、理想化についての意味と機能を[→p.432]
  • 第二に、真理-コードの要素としての規範化についての機能を[→p.434]
  • 第三に、そのほかのコミュニケーションメディア──特に、権力──との差異を[→p.435]

基礎付けることができるからである。