涜書:大屋『法解釈の言語哲学』

夕食。

法解釈の言語哲学―クリプキから根元的規約主義へ

法解釈の言語哲学―クリプキから根元的規約主義へ

4章もういちど。で、5章。
議論が明快で知らないこともたくさん書いてあって、勉強になりました。いろいろな違和感はあるけど、これを批判的に検討するには教養が足りません。5年以内くらいになんかいえたらよし、という方向で。


■メモ/疑問

  • 「取り決め」という語を使いたくなるのは、議論されているのが「正当化の文脈」について だから。なのか?
  • 私と我々のギャップを、「私」の方から考えるのはなんかへん。
    • この議論の前提には特殊な社会化モデルが採用されているような気がするけど、「私」をめぐる議論の組み立て方は、そいつと共犯関係にあるのではないだろうか。と予想。
  • 「正当化」は(流れ-の)よどみ に生じるというが──それはそうだろう──、「私」だって よどみ の中に生じるのではないのか。

この懐疑論は、「〈流れ〉などない」というものではない。「澱み」というからには「流れ」はあるのだ。この点は見解の一致を得られるところ。ここを確認できただけでもよかった。