なにもする気が起きないときの(中略)
Niklas Luhmann and Organization Studies (Advances in Organization Studies)
- 作者: David Seidl,Kai Helge Becker
- 出版社/メーカー: Copenhagen Business School Pr
- 発売日: 2006/02/01
- メディア: ペーパーバック
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「PART III Organization, Interaction and Society」から。
David Seidl, Organization and Interaction
Introduction
- 大意: ルーマンは相互行為・組織・全体社会という3つのシステムを区別しており、それぞれについては それなりの記述をあたえているけど、それらの間の関係についてはほとんど何もいっておらず、議論は不明確なままだ。/ルーマンがいうように組織と相互行為がそれぞれ閉鎖したシステムなのだとすると、「相互行為において組織の決定がなされる」とか「それによって組織が再生産される」とかいったことが考えられなくなりそうだ。なんかへんな感じ。
- この論文では、まずルーマンの考えを解説し、そのうえで、再参入と相互浸透という概念をもちいて「組織的相互行為」について考えてみるよ。つづいて組織の中で相互行為が維持されることの機能について考えるよ。最後に「組織的相互行為」という概念にどんないいことがあるかをまとめるよ。
類型をたてるから「その間の関係」について問わざるをえなくなる(し ついつい問うてしまう=問うとなにかいいことがあるのではないかとつい考えてしまう)。 そもそも類型たてるのやめたらどうですか(と論文には書いたけどどう?)。
ちなみにルーマンのテクストには「組織された相互行為」という言葉はふつうに登場するよ(ex. 授業@ISBN:413010098X / ISBN:3518289608)。著者はこの概念が必要だと思ってるわけだけど、むしろこの語用は、すでにもうそれだけで「システム三類型」なるもののダメさを雄弁かつ充分に物語るものだと私は思うよ。まぁいいけど。
Organization and interaction as two types of social systems
- 大意: ルーマンがいうには、「組織」は意思決定というコミュニケーションを、「相互行為」は現前する人々のコミュニケーションを、それぞれ基礎にしている。二つは別のものだ。/ルーマンの組織規定を理解するには3つの概念が重要だよ: 「意思決定」「決定前提」「不確実性の吸収」
- 意思決定について: 意思決定というのは自らの偶発性についてコミュニケートするという特殊なコミュニケーションだよ。しかも意思決定は、「意思決定には代替案がある」こと-と-「意思決定がなされると代替案はない」こと とについて同時にコミュニケートする。だからそれはパラドクシカルなものだよ。意思決定は自らのダチコウツクを要請する、くらいの。/ でもそうはいっても、実際に意思決定は成功しているよ。組織はいったいどのようにして恒常的な決定のダチコウツクを回避しているのだろう。
1) 組織を再生産するコミュニケーションは決定の形式をとらないといけないよ。決定のダチコウツクも決定の形式をとらないといけないよ。
2) 組織の決定は、組織のほかの諸決定のコンテクストのもとで生じるよ(=すべての決定は、ほかの決定に対するメタ-コミュニケーション──決定についての決定──として生じるよ)。 以上をいいかえると、「決定は、組織の諸構造への指示をとおして安定する」ということ。- 決定前提について: こいつは組織の構造にかかわるよ。ある決定は、後続する決定にとっての決定前提(という構造的条件)を構成する。だから決定前提というのは、決定をつくり・制約するという二重の機能をもつよ。/ ルーマンは、決定前提という広い概念を3つに分類している:「プログラム」「コミュニケーション・チャネル」「personnel」
- 不確実性の吸収について: こいつは組織の過程的側面に──「ある決定がさらなる決定を導く(=組織を再生産する)のはどのようにしてか」という問いに──かかわるよ。以前の決定が以後の決定の決定前提となるとき、不確実性が吸収されるってこと。
学的ともいえぬほどにおおざっぱすぎる常識的な対比、本当にありがとうございました。(こんなはなしですむなら社会学なんていらないよ。)
Conceptualising organizational interactions
- 大意: 相互行為と組織は相互に環境にあるよ。しかし「相互行為が組織のために決定を産出する」というのは──それはつまり相互行為が組織を再生産に一役買う、ということだけど──どう説明しましょう?
「説明」しなくていいんじゃね?
ちょwww。なにいってっかわかりません。(非公式組織みたいのを考えてるのか?)
- よくわかんないので、「「組織的」相互行為」をルーマン理論の術語でもって考えてみる前に、組織「における」相互行為についての経験的に観察可能な形式についてちょっと外観してみよう。そこにはこんなのがある:
- 1) (会議のような)「"deciding" interactions」。
- 2) (あとで行われる諸決定の条件を準備するけどそれ自体が決定を行うわけではない)「"desision-preparatory" interactions」。
- 3) 直接には決定に焦点化されない形で行われる決定についてのコミュニケーション、「"semi-detached" interactions」。たとえば組織にかんするゴシップなんかがそうだ*。
* ここで、Drew & Heritage (ed.) 1992 ISBN:0521376335 が参照されておる。「制度的場面」キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!?- 4) 仕事の間に行われる仕事に関係ない会話。
....。
- こういうのはみんな、「組織」を環境にしたふつうの相互行為だし、4) はさておき 1)-3) は、組織の再生産に重要な意味をもつよ。/ 4) は組織に包摂できないかもしれないけど、1)-3) は組織と構造的カップリングしてるといえるんじゃないだろうか。つまり、「組織的相互行為」は、組織をとおして自らの作動の条件づけを許容する、ってことね。言い換えると、「組織的相互行為」は、その環境(である「組織」の構造)にも指向する、と。システム論では、これを再参入といいます。
〈相互行為/組織〉という区別 [= cross] が、相互行為に [mark として] 登場する。- 「組織的相互行為」にとっての〈相互行為/組織〉区別は、〈システム/環境〉区別に相当するわけだけど、それはまた、〈組織における役割/相互行為上の役割〉という区別だといってもいいね。つまり、このシステムにおいては、相互行為の参与者について、その相互行為外の役割も勘案されている、というわけです。「組織的相互行為」は──フェルスター山師風*にいうと──この区別を「プログラム」として使うよ、と。
- まぁともかく、「組織的相互行為」は、明示的に組織に言及しているといってよいでしょう。
さぁ無駄に話が複雑になってきました!
* 「山師」は敬称です。
- 「組織」の「相互行為」への再参入は、三つの次元で考えることができるよ。
- 社会次元: 参与者は「組織成員」。
- 事項次元:: 相互行為の構造は「組織」的な主題にかかわる。
- 時間次元: ex. 組織のほかのイベントとの時間調整(スケジューリング)。
キングカズかつて曰く、「システム論は、すでにわかっていることをシステム論の用語で置き換えているにすぎない」(大意@ISBN:4130341332)、と。
Deciding interactions
もう秋田。
Functions of organizational interactions
- 「組織的相互作用」の3つの機能についてまとめるよ: 「複雑性の縮減」「脱パラドクス化」「記憶」
略。
Possibilities for conditioning organizational interactions
- 組織が「組織的相互行為」に課す条件づけのはなし。
- 時間次元: 組織は相互行為の始まりと終わりを条件付けるよ。
- 社会次元: 組織は相互行為に誰が参加するかを条件づけるよ。居合わせている(いない)のは誰か(=目の前にいても会議の参加者じゃない)とか。
- 事項次元: 組織は、相互行為の主題(ex. アジェンダ)を条件づけるよ。
Conclusion
- 「組織的相互作用」は、組織の環境にあるよ。組織と相互行為が相互に依存しあっているのは自明だけど、それらはそれぞれの固有の権利において研究されるべきだよ。
以上。
あとこれ読んだ。
- Thomas Drepper, Organization and Society. - On the desideratum of a society theory of organizations in the work of Niklas Luhmann
- Dirk Baecker, The Design of Organization