納涼トッシキ祭り:ルーマン「単純な社会システム」/『社会の教育システム』

残業後の遅い夕食。毎度再訪。



第1章「人間と社会」

  • [p.41] 相互行為としての授業
  • [p.44] 記憶に手を伸ばすことを可能にしてくれる形式:スキーム、コグニティヴ・マップ、フレーム、スクリプト

第4章「相互行為としての授業」

  • [note2] サッカー
  • [p.138] 相互行為において生じる〈規律〉: 規律によって「どの生徒も授業を混乱させたりその混乱を楽しんだりすることになる。」
  • [p.138] 「絶えざる〈知覚の知覚〉は、参与者の観察と振る舞いの基本的な同時性を保証する。」→Th. Luckmann [1991]
  • [p.139] 〈可能性の過剰〉:「絶えざるコミュニケーションは注意を惹くための 補足的な アトラクター」
  • [p.142] 「休み時間を告げるベルが鳴ると、授業という相互行為はいったん終わるが、でも終わらない。[‥] 相互行為はパーソンとしての参与者たちに、それぞれの心理状態を問わない記憶を保証する。そのおかげで「前回の授業」に接続するコミュニケーションが可能なのである。」 →[p.44]
  • [p.143] 〈エピソード/ピリオド〉

第5章「教育の分化」

  • [note15] リューネブルクのケーゲルさん ──本文とぜんぜん関係ないし!
  • [p.163] 相互行為と組織の独特な共生: 〈教育の分化〉の技術的基盤
  • [p.166] 〈内部環境〉。教育システムによる〈社会の記述〉。構造的カップリング
  • [p.185] 〈自己記述〉