涜書:ルーマン『社会の経済』/長岡『ルーマン』

ぱらぱらと。「決定」概念について確認。

社会の経済

社会の経済

ルーマン/社会の理論の革命

ルーマン/社会の理論の革命

長岡本は何もいってなかった(白目。


『社会の経済』8章「意思決定行動の社会学的局面」。

I
  • 〈行動|行為|意思決定〉(〜心理学|社会学|経済学)の区別について。
II システム要素とシステム構造|意思決定と予期
  • p.285 「意思決定」と「行為」の関係に関するルーマンの提案:
    • 自らに向けられた予期に反応する行為は 意思決定とみなせる。
      ←→自らに向けられた予期に反応する行為は、予期を用いて観察される。

■提案:

行動の予測があって初めて その行動は意思決定になるのである。なぜなら、行動の予測があってはじめて 予測に従う ことが可能となるからである。

その際、他者の予期が問題であっても、行為者自身の自己予期が問題であってもよいし、また予期はよく広まったものであっても、新種のものであってもよい。

ここではただ、予期が真剣に受け取られ、行為という出来事を観察可能なものとして固定するのに役立つ、と前提されているにすぎず、そのうえで行為を予期に従わせるか否かについて意思決定がもとめられるのである。 [p.285]

■敷衍:

 いうまでもなく、どのような行為も自らを予期──とりわけ予期された結果あるいは予期された反応──に合わせるが、そのために何か特別の意思決定が必要なわけではない。われわれはワインのビンをとってグラスに注ぐとき、それによってグラスがいっぱいになるだろうと予期してそうする。これは、

  • 行為自体が予期に強制される場合──たとえば 客の席の空のグラスが満たされるとの予期を表している場合──

にはじめて意思決定になる。このとき人々が体験するのは予期によって高められた状況である。すなわち、

  • 一方でワインあるいは客〔の健康〕を大事にしようとすれば 予期から遠ざかることになるかもしれないが、
  • 他方 予期をみたせばたんなる満杯のグラス以上のもの──つまり 予期自体の再生産と、それへの敬意表明と結びついたすべてのも──をも獲得できるのである。予期圧力は予期の規範的資格づけによって強化されるが、たんに予期するだけでも、その事実が知られるならば、予期を向けられた者は 予期に添うか反するかの二者択一の可能性を手にし、それゆえまた意思決定をせねばならなくなる。

 これと同様の事態の劇的分析を グレゴリー・ベイトソンが提示している。…… [p.285-286]

 理論体系的にいえば、われわれの分析は 意思決定理論でふつう選好概念が占めている位置に 行動予期概念を据えている。[p.287]

なんやようわかりませんが。

■基本概念の比較

  • 選好: 〈より良い/より悪い〉の差異が問題 [選好は「より良いほうに決める」との予期 p.287]
  • 予期: 〈同調/逸脱〉の差異が問題
    • 予期への指向がそれだけで意思決定結果をもたらすのではなく、この指向はただ意思決定を必要にし、意思決定に大して予期に従わない自由を与えるだけ [p.287]

■両者の関係

  • 選好理論は、意思決定領域の部分集合しか扱っていない。
III
  • 問題: 時間をかけて偶発性を処理すること
IV 合理的意思決定理論における「目的」の位置
  • p.290 「通常の意思決定理論は、意思決定がなされるべきことは確定しているが、どのようになされるべきかは確定していないケースだけを取り扱っている」
V (合理的意思決定モデルからみて)非合理な決定。 官僚組織の特性

「限定合理性」に関する議論が役に立たない理由について。

VI 社会学における「予期」概念の位置。
  • 意思決定の負担を高める可能性のある三つの場合: 相互行為における社会的再帰性。規範化。公式組織(〜官僚制)。

・義理 p.300

 [予期の規範化]に関連して注目されるべきは、日本の「義理」という風習である。この風習も[ヨーロッパにおける社会的再帰性の洗練がそうであったように]また上層階級の紛争回避努力から生まれたものと思われるが、義理がとりわけ求めているのは、予期が表明されるされる前にかなえられることである。こうして──おそらく、予期のコミュニケーションはいかにも危険であり、そのうえ(予期に信念をもって自発的に応じる場合でさえ)しぶしぶ予期に添ったとの印象を呼び起こすのではないか、と考えたうえで──予期のコミュニケーションの回避を通じて意思決定状況の切迫を回避するわけである。別の言い方をすれば義理は、ヨーロッパで発達した社会秩序に典型的に見られる、社会的再帰性と明確に規範的な予期様式の分化、ないし上手な人付き合いと法の分化を回避しているのである。これは現代の諸条件のもとでは、伝達される予期伝達されない予期 の著しい乖離ならびに潜在的な社会的緊張をもたらす、と考えざるを得ない。

VII



■関係ないけど。
p.283

これらはすべて、たんに対象への学問的接近の問題であるのみならず、まずなによりも、行為者たち自身の問題である。

エスノメソドロジーの話法で語るルーマン先生。