検討論点リスト4 - 全体社会の構造としての法

「全体社会」の位置

一番丁寧に議論されているのは 〔法政関係:2002〕 の 「2 - (三) - (1) 機能」。
  • 〔理性:1998〕 [p.48] なお、本稿で重要になる含蓄を浮き彫りにするために、ルーマンの「全体社会」を「日常生活世界」に適宜読み替えることにしたい。
  • 福祉国家:1995〕 [p.104] 「「法」は、「全体社会の構造」だから、このときシステム・レファランスは「全体社会」にとられているのである。それに対して、「法システム」という場合には、システム・レファランスは、全体社会の機能的サブ・システムたる法システム自体にとられているのである。本稿が、政治システムと相互に関係しあうものとして取り上げるのは、この意味での法システムである。
■疑問点二つ:
  • ルーマンの「定義」によれば、「全体社会システム」とは「すべてのコミュニケーション」である。だから「法は「全体社会システムの構造」である」という主張は、「法は、すべてのコミュニケーションにとってレリヴァントである」と主張しているように聞こえる。しかしそのようなことはありえない。ならばこの命題は、それ以外の──「システム要素/システム構造」というペア概念の語用から逸脱せずに述べうる──どのようなことを述べようとしているのだろうか。[→ルーマンに対する疑問]
  • そもそも。あるものが「世界」であるのなら、それは「システム」ではない。だから、「全体社会とは生活世界である」と主張するなら、いっしょに「全体社会はシステムではない」と主張してもいることになる。(→これだと「全体社会は各社会システムの内部環境である」ということまではいえても、「全体社会は社会システムである」ということは言えない。)
    さらに。システムではないものについて構造は語れるかといえば、それは可能だろう(=ルーマンの構造概念はそれを許容する)。 しかしそれは──当然のことながら──「システム構造」と呼ばれるものと同じものであるはずがない。つまり、「全体社会の構造」なるものには別途規定が要求されてよい。[→筆者に対する疑問]
  • 〔法政関係:2002〕 [p.144-145]
N.ルーマンの法システム論と政治システム論 - 2 法システム - (三)法システムの機能と 中心/周縁-構造 - (1) 機能

 ルーマンは、法システムの機能を、「規範的予期が時間的・内容的・社会的に一般化される過程の規制をつうじて、規範的予期を安定化させること(...)」だと言う。

  • ルーマンの体系では、時間的・内容的・社会的に一般化された規範的予期が、全体社会の ‘構造’ としての「法」である。
  • だから、全体社会の機能的サブシステムとしての「法システム」の機能は、全体社会の構造たる「法」の生成過程を規制することで「法」を安定化させることだ、と位置づけられていることになる。[p.144]

社会的・時間的・内容的に一般化された規範的予期が安定しているとき、ルーマンによれば、「人は、個人的ないし相互行為的な信頼保障の仕組みが十分ではない、複雑な全体社会(Gesellschaft)において、生きていくことができる」ことが重要である。さて、ここまでは、彼がオートポイエシス論への転回以前から有していた持論の再説に過ぎない。内容的・時間的・社会的に一般化された予期、すなわち、全体社会の ‘構造’ の機能が問われているにすぎないのである。未だ法システムの機能に触れられていない。
 「法システム」の機能は、「規範的予期が・・・一般化される過程の規制を通じて、規範的予期を安れていた。つまり、法システムの機能は、「法」の生成・安定化にかかわるのである。この定義の立体性を理解するには、前述の、法システムのオートポイエシスが、中心と周縁、ミクロ次元とマクロ次元にまたがる、ダイナミックなプロセスであることに注目しなければならない。ルーマンによれば、法システムの中心は裁判所、周縁は一般私人や公共機関の、現場使用である。[p.145-146]

 では、このような法システムの機能は、社会の他のところでは、果たされないのか。ここでの眼目は、法システムが全体社会の機能システムと位置づけられているところにある。

  • 局所的に(たとえば家庭内で地域で職場で)通用する、規範的予期の一般化されたものというものがありうる。
  • 他方、近代社会にあってはすべてのひとが関与しうるシステムになっているので(包摂 Inklusion103)、規範的予期が一般化される過程を規制して、全体社会のレベルで通用する一般化された予期を生成・安定化させる。そして、そうした予期を生成・安定化させるものとしては、彼の意味での法システムに代わりうるものを想像するのは困難なように思われる。

 こうして、ルーマンの考えでは、〈法的なるもの〉のうち、法システムは、唯一それだけが、「全体社会のレベル人びとが生きうること」=「全体社会のレベルでコミュニケーションが行われること」=「全体社会が存立すること」それ自体に、直接に、それが作動する限りでその範囲で、寄与しうる点で、社会の全体的分析上、重要な位置を占めることになるのである。[p.150]

とりあえず、この↑議論のためだけなら、「全体社会はシステムで(も)ある」という主張は必要ない。

三 意識システムと社会システム - (四)社会システムの多層性と多層的な時間性

 社会システムは、社会的リアリティーの構成過程でもあった。この点に注目すれば、ルーマンによる社会システムの三分類と機能システムの定義づけの意味がはっきりする。ルーマンは、社会システムを、相互行為、組織、全体社会の三つに大別している。相互行為は、その場に居合わせている人の間でのコミュニケーションからなる。組織は、組織の成員資格で画された人々の間のコミュニケーションからなる。全体社会は、あらゆるコミュニケーションからなる。この種別は、別の面から言えば、コミュニケーションの中で構成されたリアリティーの射程の種別である。

  • 相互行為のなかで構成されたリアリティー(...)は、その範囲を超えてレリヴァンスを持つ保証はない。
  • 組織の場合も同様である(たとえば、ある企業組織で選任された取締役が対外的にも取締役として通用するためには、特定の条件を満たさなくてはならない)
  • では、全体社会の機能システムの場合はどうか。たとえば、法システムの場合には、その作動の結果として、つまり法的コミュニケーションの結果として、特定の主体の間で、あるいは特定の主体に関して、特定の権利義務関係その他の法状態という、社会的リアリティーが成立する。法システムが構成する社会的リアリティーは、このような意味で法的なリアリティーでしかない。その意味で、全体社会から見て、部分的なものであるに過ぎない。しかし、そのリアリティーは、相互行為の範囲も組織の範囲も越えた、したがって全体社会的レリヴァンスを持つ。
    • たとえば、AとBとの間で所有権を移転する法律行為がなされた場合、その移転という事実が、その当事者間を越えたレリヴァンスを持たなかったとすれば、それはそもそも有効な法律行為(物権行為)ではなかったのである。だから、法システムは、「全体社会の」部分システムと呼ばれるのである。そしてさらに言えば、全体社会的にレリヴァンスを持つ社会的リアリティーを構成するからこそ、それは、全体社会にとって機能を果たすのである。[p.21-22]