「と」本であります*。
訳者の名前をみて購入したわけだが。「欲求・信念と意図」をめぐる分析哲学的行為論と、「決定と計画」──限定合理性──をめぐるハーバート・サイモンの議論との両者に足をかけて、双方に一挙に見通しを与えよう、という本らしい。というわけなので、少なくともルーマン読みには見逃せない類いの本なのだがいかんせん難しい。2章まで読んだところですでに挫折しそうだ。
歯が痛いし。(せんせー、なんか白いのでちゃいました(∩∀`*)キャッ♪

- 作者: マイケル・E.ブラットマン,Michael・E. Bratman,門脇俊介,高橋久一郎
- 出版社/メーカー: 産業図書
- 発売日: 1994/11
- メディア: 単行本
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- 原著 Michael Bratman, 1987, Intention, Plans & Practical Reason. ISBN:0674458192
- はじめに
- 第1章 序論
- 1.1 計画
- 1.2 意図
- 1.3 意図と計画
- 1.4 呼びもの案内
- 第2章 計画理論に向けて
- 2.1 欲求-信念モデルの二つの面
- 2.2 意図とコミットメント
- 2.3 欲求-信念モデルに対する最初の挑戦
- 2.4 欲求-信念モデルの控えめな拡張
- 2.5 意図に基づいた理由という見方
- 2.6 前途瞥見
- 第3章 計画と実践的推論
- 第4章 行為者の合理性──一般理論に向けて
- 第5章 再考慮と合理性
- 第6章 行為者の合理性──来歴的理論
- 第7章 コミットメント再訪
- 第8章 意図の二つの顔
- 第9章 ある意図でもって行為すること
- 第10章 意図と予期された副次的結果
- 第11章 結論
がんばって先を読んだ方がよいような気がするので、景気づけ(?)のために訳者あとがきから本書が書かれることになった背景事情の説明を抜き書きしておく。
[‥]行為という概念について、意図という概念に注目しつつ分析の枠組みを提出したのは G.E.M アンスコムであった。彼女は、行為を分析するにあたって、二元論を暗黙のうちに前提にした「内観的」な方法や、それを批判する形で展開していた行動主義的方法を批判しつつ、意図的な行為とその理解や説明のあり方を特徴づける、自他の関わりにおける合理化と正当化という枠組みのもとで論ずることを試みた。そして意図的行為は、ある記述のもとで観察によってではなく知られ、また「なぜ?」という問いに答える行為の説明もまた観察によるのではないと論じ、そのことからこの種の行為説明は因果的な説明ではなく「理由」を与えるものであるとした。
こうした非因果的な見方に対して、「理由」を与える説明もまた因果的な説明であり得る(し、あらねばならない)として、ある意味では伝統的な立場から行為の「原因」を正面から論じたのがドナルド・デイヴィドソンである。ある人が何らかの理由から何かをする場合、その人は欲求・欲望といった賛成的態度と、自分の行為がその態度の実現に相応しいものであるという信念を持っている。この欲求と信念の組み合わせが、なぜその人はそのように行為したかということの理由を与える基本的理由となっており、またそれは行為の原因でもある。さもなければ、理由と行為の間の結合は、単に概念的な関係になるだろうが、それは時空的な行為の生起を説明するには十分とは思われない。(‥)
しかしながらデイヴィドソンは、「逸脱した因果連鎖」の問題などを通じて、こうした意図についての見方を放棄せざるをえなくなる。欲求-信念へと還元できない「純粋意図」あるいはブラットマンの術語にしたがえば「未来指向的意図」の存在を認めざるを得なくなるのである。
ブラットマンの仕事は、意図の欲求-信念への還元不可能性というこの基本テーゼのもとに展開する。
- 意図と、欲求や信念とはどのような関係にあるのか。
- 欲求-信念が行為の原因として果たしているのと同じ意味で、意図は行為の原因であるのだろうか。
- 実践的推論の核心は、通常考えられているように、行為の欲求-信念理由を考量することにあるのだろうか。
- そして行為における合理性は何にあるのだろうか....。[p.354]
この先が知りたいかい? ──あー知りたい知りたい(棒読み
ちなみに古典的な「行為」の理論では、〈欲求・信念〉と〈行為〉の間に──蝶番として──〈意図〉を置く。だから/そこから「〈意図〉を排除すれば、〈欲求・信念〉→〈行為〉 というスッキリした図式になって気持ちいい(のでそうしよう)!」という欲望が繰り返し生じるわけですな。