「〈体験/行為〉図式はどこから来ましたか」問題。
承前:http://d.hatena.ne.jp/contractio/20080820#p1
- Theorie der Gesellschaft oder Sozialtechnologie. Was leistet die Systemforschung?
- Essays on Self-Reference
- 批判理論と社会システム理論―ハーバーマス=ルーマン論争
「体験」と「経験」の差異は英語にはないらしい。では英訳ではどうあしらってるのかな、と思って見てみたら....。
Erleben も Erfahrung も「experience」と訳されてたよ....。ぉぃぉぃ....
「意味論文」には、「意味は体験処理の形式である」テーゼから出発して→「意味と情報」を区別した上で→それをつかって「経験(とコミュニケーション)」について論じた箇所がある。そこはさすがに両者を区別しないと訳出自体できないだろう、と思ったのだが(III4段落め:S.43)....
──そこは「experience (Erfarung)」になっていた....(英訳 p.31)
じゃぁ7節で、6節までの議論を踏まえてもういちど〈体験/行為〉図式に戻ってくるところはどうなってるのかな、と思ったら....
──そこは「experiene (Erleben) and action (Handeln)」になっていた。
あと。
これはガーダマーが『真理と方法 1 哲学的解釈学の要綱 (叢書・ウニベルシタス)』で言っていたことだと思うのだが、「Erlebnis」というのは非常に最近の──19世紀も後半になってから流布し始めた──言葉らしい。(あとで確認。) ドイツ語のニュアンスがよくわからんので困るのだが、学術用語としては この Erlebnis を使ってもよいのに、ルーマンが使っているのは Erleben なのである*。このへんの事情も気になるところ。だが、いまのところ手がかりは何もない。