家事の合間にベストセラーを周回遅れでチビチビ読むスレ。
「合理性論争」を振り返りながら、「合理性」概念についてもうちょっとだけ真面目に考えてみます。
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合理性の諸問題 (現代哲学への招待 Great Works)
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主観的、間主観的、客観的 (現代哲学への招待Great Works)
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今日はハバーマスのほうだけ。
- 訳者まえがき
- 日本語版への序文
第一部 行為の合理性と社会的合理化
- 現著者まえがき
第1章 序言「合理性問題へのアプローチ」
予備的考察、合理性概念と社会学
- 第1節 「合理性」──一つの暫定的な概念規定
- (1) 行為と主張の批判可能性
- (a) 認知的・道具的合理性
- (b) コミュニケイション的合理性
- (2) 批判可能な発言のスペクトル
- (3) 付論 議論の理論について
[..]
- 本書の構成に関する見取り図
まで。
この導入の箇所では、
- 本書のテーマが「合理性」であること、
- 「合理性」という言葉で おおまかにはどういったことを考えているか、
- 「合理性」の検討のために、なぜ(そして どういった関心と観点から)社会学史を取り上げるのか
などといったことが、概略的に示されている。
おかしなおもしろい論点はいろいろあるが、なかでも見逃せないのは序言のこの箇所:
以上の解釈を総括すれば、われわれは 合理性を、言語能力と行為能力をもつ主体の性向 と理解する、といってよいだろう。合理性は、それぞれの十分な根拠のある行動の仕方のなかにあらわれる。このことは、合理的な発言は客観的評価が可能であることを意味する。このことは、すくなくとも暗黙のうちに妥当性の要求(または批判可能な妥当性の要求と密接に関係する要求)をおこなうすべての象徴的発言にあてはまる。論争上の妥当性の要求を明確に吟味するためにはすべて、議論のための諸前提を満たすべき、コミュニケイションの洗練された形態を必要とするのである。 [p.47]
タイトルに「コミュニケーション」とついているので、この本は「コミュニケーション」についてなにか書いてあるのだろうと思ったら大間違い。言及対象はコミュニケーションではなくて、あくまで「主体の性向(!)」なんだって!!!
やっぱり原著がないとあかんか... ISBN:3518575910 / ISBN:3518575910
■原著とどいた(20090130)
Unsere Überlegungen können wir dahingehend zusammenfassen, dass wir Rationalität als eine Disposition sprach- und handlungsfähiger Subjekte verstehen. [44]そのまんま。「disposition」ですね。
■以下落穂拾い
生活世界
初出箇所:
科学の基本的機能を社会的サブシステムと並列させれば、次のことを見落とすことになる。すなわち、文化的再生産、社会的統合、社会化といった視点から重要である諸領域における社会的相互行為は、経済と政治の行為領域での相互行為のように特殊化されるものではないことを、見落としてしまう。社会学と文化人類学とは、社会的行為の諸現象に関するスペクトル全体に取り組むのであって、相対的にかっちり切断された行為の諸類型を取り上げるのではない。
この後者の諸類型とは、たとえば利潤の最大化や営利といった問題、または政治権力の行使といった問題についてみればあきらかなように、目的合理的行為の変種に規定されるものに他ならない。だが、社会学と文化人類学という二つの科学は、生活世界の脈絡のなかで、日常の実践を取り扱う。だから、それらは象徴的な行為志向の全ての形態を考察しなければならない。これらの科学が、行為理論と意味理解的解釈に関する基本的問題を簡単に無視するわけにはいかない。基本問題を取り上げるばあい、それらは生活世界の構造に取り組むのであって、この生活世界こそ機能的にかっちりと特殊化され、確かな方法でいよいよ分化を強めるほかのサブシステムの基礎にあるものなのだ。[...] ここでわたしはただ、[パーソンズの謂う]社会的共同体と文化の研究が、経済的・政治的部分システムの研究のように、社会科学の基本問題や生活世界のパラダイムから簡単に切り離せるものではないことを、強調しておきたい。このことから、社会学と社会理論との緊密な結びつきがわかるだろう。[p.25-26]
「生活世界」的なもの の最初の規定が、「文化的再生産、社会的統合、社会化といった視点から重要である諸領域における社会的相互行為」
であることを覚えておこう。
批判
[p.]