涜書:村上『安全と安心の科学』

安全と安心の科学 (集英社新書)

安全と安心の科学 (集英社新書)

  • 序 論 「安全学」の試み
  • 第1章 交通と安全──事故の「責任追及」と「原因究明」
  • 第2章 医療と安全──インシデント情報の開示と事故情報
  • 第3章 原子力と安全──過ちに学ぶ「安全文化」の確立
  • 第4章 安全の設計──リスクの認知とリスク・マネジメント
  • 第5章 安全の戦略──ヒューマン・エラーに対する安全戦略
  • 結 び



序論

p.34

 安全や危険というのは、ある意味では 科学の方法で数量的に評価できる世界です。定量的な方法で表現することができるものです。

一例をあげれば、経済産業省原子力安全・保安院が、現在の原子力関連施設に航空機が事故で飛び込んで致命的な結果をもたらす確立を計算して発表したことがあります。100万年に一回でしたか、もう一桁小さかったか、とにかく、そうした

確率を計算して示すことができるのが「リスク」であります。それを裏返せば、それだけの安全が確保されている、と言い換えてもよいでしょう。しかし、そうした数値が人々に「安心」を与えるか、と言えば、そうはなりません。
 そのことは一方ではむしろ合理的です。それは こうしたリスクの評価は、… 確率的に扱われることと関連しています。例えば、天気予報では 降水確率という数値が大事な役割をしています。… [降水確率が 40% だったとして、]私はどうすればよいのでしょうか。40%だけ傘を持っていく、ということはできません。私にとっては、傘は持っていくか、持っていかないか、そのどちらか、つまり 1 もしくは 0 という判断であって、統計的な確率の数値はなんの意味もないのです。
 統計とか確率的な方法に意味があるのは、いわゆる「アンサンブル」つまり多くの事象の集まりに関してであって、単一の事象に関しては、意味をもたないと考えざるを得ません。…

「危険 - リスク - 安全 - 安心」の基本語法。

第3章 原子力と安全

p.123

「安全文化」とは

 安全文化は、国際原子力機関が、相次ぐ事故を教訓として、国際的に原子力関係者に向けた啓発活動として提唱してきた概念です。国際原子力機関の内部に INSAG (国際原子力安全諮問グループ)と呼ばれる下部組織があります。これは International Nuclear Safety Advisory Group の省略形ですが、そこが発表した報告書によると、安全文化の定義は次のようになっています。

 安全文化とは、組織ならびに個人の示す特色と姿勢の総合体であって、何よりも高い優先度で、原子力施設の安全問題がその重要度に相応しい留意を受けることを保障しようとするものを言う。

 安全文化は二つの要素からなる。

  • 一つは、組織内の必要な枠組みと管理機構の責任の取り方である。
  • 第二には あらゆる階層の従業員が、その枠組にたいしての責任の取り方および理解の仕方において、どのような姿勢を示すか、という点である。
  • [p.125] PSA : Probabilistic Safety Assessment (確率論的に安全を評価する)
第4章 安全の設計──リスクの認知とリスク・マネジメント

p.132 「リスク」の語源に関する定説:

 辞書による解説では、こんな風に書かれています。この語は、他の多くの英語の単語と同じく、フランス語 risque に由来している。フランス語のこの語は、イタリア語である risico もしくは rischio から導かれた。これらの名詞形を生んだ動詞 risicare もしくは rischiare は「危険に飛び込む」という意味であった。このイタリア語はラテン語の risicare に由来するものと思われるが、この語は「断崖に挟まれた狭隘な水路を何とかうまく操船して抜ける」という意味であった。それというのも、ギリシャ語の rhiza が「断崖」を意味し、ラテン語動詞 risicare が、このギリシャ語の派生語と思われるからである。
 これが一応「リスク」という語の語源の定説のようです。… すると「リスク」とは もともと単なる「受動的な危険」ではなく、行為者が自ら危険を認知しつつ敢えて その危険に挑む、というような文脈での「危険」である、ということが浮かび上がってきます。…
 もっとも英英辞典で risk を引くと、「傷害や損失の危険(その具体的な事例)」と訳せる説明がついていますkが、一般的に見れば「危険」とさして違わない、とも言えます。ただ「危険」が抽象的な意味であるのに対して、「リスク」は個々の具体的な危険を指している、という違いは日常的にも理解されているということになりましょうか。英語の「リスク」は単純には「危険」と置き換えられないと言えそうです。

p.135 リスクのプチ概念分析。

■要約:
  • 「株を買うにはリスクが付きまとう」
  • 「富士山にはいつか噴火するリスクがある」
前者はよいが、後者は奇妙。→ 「リスク」には人間の意志や行為が絡んでいる。
→「リスク」は、基本的には「利益を望みながら、それを行うことによって被る可能性のある負の要素を考慮する」ことに繋がっている。
→必然的なものに「リスクある」とは言わない。
→「リスク」の中で問題になる「危険」は、
    • 「可能性として」の
    • 何らかの意味で人間が「利を求めることの代償」としての「危険」。

p.136 なんかこのへんはいろいろアレだ。

 「可能性」の英語は possibility ですが、これはかなり中立的な言葉です。話し手の「期待」(…)が加わった言葉は probability ですね。しかしこの言葉は ご承知の通り「確率」という意味も持ちます。つまり、

  • 「人間は何らかの理を期待して何かを行うが、その行為には 負の要素があり得る」、

その「可能性」を「確率」の立場で考慮することこそが、「リスク」を論じるときの最も基礎的な前提だ、と言ってよいでしょう。
 リスク・マネジメントという領域が、確率という概念を柱にして成り立っているのは、こうした事情からです。

とりあえず、「可能性については、ひとは、確率論で扱う」なんてことは一般的には言えない──実際に、我々は ふつうそんなことはしていない──よね。可能性を確率論の枠内に落としこむという流儀については、何か別の議論が追加で必要でしょう。

その次の「リスクと確率」の節を読むとわかるが、著者は「可能性」と「蓋然性」を区別していないようだ。この箇所の↑議論が なんか微妙な感じなのは、おそらくそのせいであろうと思われる。
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