[Hacking][Foucault] 神崎『フーコー』

再訪。

ある意味では、死後彼の影響力はますます大きくなり、歴史学政治学社会学、あるいはカルチュラル・スタディーズといった多様な分野にそれが広がれば広がるほど、哲学としての固有の意味が見失われていくように思われる。実際彼自身、哲学者としてよりも、歴史家として見られることを望んでいたとも受け取れる発言を繰り返しているが、フーコーの仕事の根幹には「哲学」としか呼びえない「何か」があることは、先の彼自身の発言が示している通りである。(11)

この主張に賛成した上で、こう尋ねたくなる:

  • フーコーの仕事の根幹にある「哲学」としか呼びえない「何か」を、それとして取り出して見せることができるのは誰か。

それは哲学者たちなのだろうか。
もしそう言えるのだとすれば、話は簡単なのだが。