涜書:ルーマン(1988→1991)『社会の経済』

ISBN:4830940395。第5章「資本と労働」

  • 18世紀以前: 〈貧/富〉
    • 身分相応の生計
    • 富の余剰/貧者の窮状
    • 宗教的意味:慈善、政治的意味:社会秩序維持のための土地所有の分配
      • 政治と経済の分化に抗する区別
  • 19世紀の経済理論において、これが〈労働/資本〉区別へと転回する

身分秩序の解体が始まるとともに、いったい誰が社会のなかで社会を代表し、またいかなる理由で代表するのかという問題が解決できなくなった。

  • 政治理論ではこの問題は、神秘的で社会の中にもはや所在を突き止めえない一般意志の名において君主政治を攻撃する動きを引き起こすのだが13
  • 経済理論では同じ問題…は別様に符号化される。
    • 大きな影響力を持ったあの蜂の寓話によれば、自己の悪徳によって経済を駆り立て、そのことで公共の福祉を生み出すのは富者である。反対に貧者の悪徳は労働の意欲あるいは能力を失わせるがゆえに有害である。富者のみが、指摘目標と公益が分離した社会を代表──しかも独特的パラドクスのかたちで代表──しうるのであって、貧者には道徳は額面通り適用される。
    • 有徳なる悪徳は富者の特権にとどまると同時に、この特権の具体的現れとして富者が社会を代表し続ける。全体の中に全体が再現するというパラドクスはこのようにして和らげられる。


この[蜂の寓話的な経済の]理論にはアンビバレンスを感じさせるところがまだ残っている。けれども実を言うと素朴なアイデンティティの体現はすでに問題ではなくなり、代わって 他のパラドクスによる或るパラドクスの体現が いまや問題になっているのである。貧/富の図式から労働/資本の図式への書き換えと、この理論のマルクスによる翻案をまってはじめて、システム内の対立を通したシステムの体現を描写することが可能になる。
 政治経済学がさらに彫琢されるとともに、資本と労働の対立が従来ブルジョア経済学を支配していた貧富の対立に取って代わる。いや、取って代わるだけでなく、それを取り込んでしまう。… 貧富と結びつくことで資本と労働の対立は共感を組織しうるが、同時に経済理論自体はこの共感に左右されなくなる。経済理論は共感に代えて資本と労働の関係を分析し、貧富の差に対しては冷静さを保つことが出来るのである。 [155]

  • 「扶助」ゼマンティクから「雇用の創出」ゼマンティクへ。
13 の参照文献は、Marcel Gauchet, L'experience totalitaire et la pensee de la politique.


「労働概念の意味論的経歴」は 訳書 156頁から。