01 | 1163 | [03] | | 全体社会の到達可能性 | {主体/客体モデルを使う代わり自己記述モデルを使うことにしましょう} |
02 | 1166 | [11] | | 主体でも客体でもなく | 【迂回路】自己記述理論は主体の理論からどれほどのことを学び得るか。
- 自己言及的に作動することにより基準なしに自己同定がなされる (1167)
- 作動は反省に依拠せずにおこなわれる
- 意識的作動は無意識的基礎をもつ (1969)
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03 | 1177 | [14] | | 自己観察と自己記述 | |
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04 | 1191 | [23] | | ヨーロッパ旧来のゼマンティク1:存在論 | 中世の三身分。存在論(17c.)。 |
05 | 1214 | [23] | | ヨーロッパ旧来のゼマンティク2:全体と部分 | アリストテレス。社会的法人、同一性代表(中世)。代表=表出の難点から生じる諸問題(法と宗教)。カント(成熟・未成熟) |
06 | 1237 | [20] | | ヨーロッパ旧来のゼマンティク3:政治と倫理 | koinonia → societas - communitas → oikos / polis。人間〜倫理・エートス。|善/悪(近代)。社交(17-18c.) |
07 | 1258 | [05] | | ヨーロッパ旧来のゼマンティク4:学校の伝統 | 口頭による知識の受け渡しについて。中世(自由七科)。ラムスの弁証論(16c.)。アカデミー(16c.以降)。教育システムの分化の開始(18c.以降) |
08 | 1263 | [05] | | ヨーロッパ旧来のゼマンティク5:野蛮から(自己)批判へ | 〈中心/周辺〉図式について(内的に処理できない非一貫性の外部化)。文化(18c.後半)〜イデオロギー(マルクスの資本主義批判 19c.)。 |
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09 | 1268 | [29] | | 機能システムの反省理論 | ルネッサンスにおける現在と過去の分断(伝統)。国家理性・貿易収支(16c.)。(ヨーロッパでは)市民社会の経済的理解→〈市民社会/国家〉(18c.末)。|反省エリート(教育学者・法律家・進学者)。|政治理論:p.1276、認識論:p.1279、経済理論:p.1282、法理論:p.1285、教育:p.1288、美的芸術:p.1289。宗教と家族:p.1291。 |
10 | 1297 | [07] | | メディア-ゼマンティクにおける対立 | 全体社会の批判において扱われる二つの齟齬:[1] 技術か可能性の限界が機能領域ごとに異なること(eg. マルクスの政治経済学、フッサールの科学批判)。[2]「限定性/個別主義」の対立(eg.避難所としての家族、芸術、宗教)。 |
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11 | 1304 | [08] | | 自然=本性とゼマンティク | |
12 | 1322 | [21] | | 時間化 | 歴史。 |
13 | 1334 | [23] | | 主体への逃走 | |
14 | 1357 | [11] | | 道徳の普遍化 | |
15 | 1367 | [11] | | 諸国=諸国民の区別 | |
16 | 1378 | [06] | | 階級社会 | |
17 | 1384 | [21] | | 同一性のパラドックスと、区別によるその展開 | |
18 | 1406 | [07] | 20世紀中盤 | 近代化 | |
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19 | 1413 | [08] | 20世紀後半 | 記述形式としての情報とリスク | 機能領域に関連づけられない普遍的な社会記述:情報化社会とリスク社会。 |
20 | 1421 | [15] | 20世紀 | マスメディアと、マスメディアによる自己記述の選択 | 世論(18c.以降)とマスメディアシステム |
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21 | 1436 | [21] | | 不可視化──観察者という《マークされない状態》とその移動 | 社会科学における価値自由とその対案 |
22 | 1457 | [17] | | 反省されたオートロジー | 全体社会の中での全体社会の社会学的記述としての全体社会理論 |
23 | 1474 | [07] | | いわゆるポストモダン | |