ついに丸山真男にたどり着いてしまった・・・・
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「政治学」
p. 296 19世紀末における「集団の発見」と「新しい政治学の動向」。
- 第一に、政治構造をフォーマルな固定的な制度として、ないしは、一定の抽象的「イズム」の化体として見ないで普段の動的な過程として捉えること
- 第二に、その動的な過程は主として立法・司法・行政といった統治機構の内部に現れると同時に、統治機構と諸々の機能集団や圧力団体の間の複雑な相互作用として把握されること
- 第三に、そうした機能集団が、さらに基底にある階級・人種・宗教・地域に基づく非組織的なグルーピングと、本来の統治機構との間に介在して営む代表・統合・伝達など種々の媒介的作用に着目すること
- 第四に、組織的集団にせよ非組織的なそれにせよ、その活動をなんらかの実体的中心からの意思発言としてでなく集団な以外の不断に変動する状況に対する応答と適応の関数関係として観察すること
- 第五に、「国家」も含めていかなる集団もそのメンバーを全人格的に包含するものではなく、したがってつねに同一人格をめぐって、異なる忠誠関係が競合しているという認識から出発すること
- C: そういう傾向を典型的に代表した学者はどういう人々ですの。
- A: さっき言ったコール、ラスキ、バーカー、フォレットらによる多元的国家論又は政治的多元主義…が一つの大きな流れだし、アメリカ政治学の歴史でエポックを劃したのが有名なベントリの『政治過程論』…だ。…
- B:狭義の政治組織を中心とする叙述に代わって、いわば下からの政治過程に重点が置かれれば、それだけ政治学は法律学から離れてむしろ社会学的な方法に接近するわけですね。
- A:そう。だから大陸諸国のように伝統的に政治学と公法学の癒着が強いところでは、右に言ったような新しい局面の衝撃は政治学の方法的独立として現れないで、むしろ社会学者によって実質的に政治学的な考察が押し進められることになる。グンプロヴィッツやラッツェンホーファーらオーストリー社会学はなどもその例で、彼らの集団闘争理論はA・スモールのような学者を通じて早くからアメリカ政治学に流れ込んだ。大衆民主制の政治過程を古典的なそれから鋭く得し続ける人民投票的独裁制の登場や合理化=官僚化の内包する政治学的諸問題が、今世紀初頭のM・ウェーバーやR・ミヘルスによって…ほとんど予言者的な的確さで分析されたことは今更いうだけ野暮だろう。それからデュルケム社会学の影響も大きい。
泣けてきた。
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ここで行動科学一歩前。
ところで社会学が入ってないね。