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- 緒言 クロード・ドブリュ
- 序章 「仮面を被って進み出る」──哲学者カンギレム
- 逆説的な影響力を持った専門的な著作
- カンギレムの戦闘的エピステモロジー
- 生命と論争
- 「生物学的規範性」という概念の形成
第一部 判断することと行動すること(1926─1934年)──カンギレムと反省的「思考様式」
- 第一章 アラン
- 「剥き出しの事実」という概念の批判
- カント認識論の人間学的地滑り
- 「真の哲学者」
- 第二章 反省的分析──ある哲学的「思考様式」
- 知覚することとは判断することである
- アランとベルクソン──ある「流派の対立」
- ラニョーと「カントの教え」
- 一九世紀末フランスのカント受容
- 第三章 〈私は考える〉
- 第四章 精神対世界
- 「根源的─論争的」統一
- 『海辺の対話』──悟性の哲学のためのマニフェスト
- 現実存在の衝撃
- 労働──人間的活動のパラダイム
- 第五章 反省的分析の道徳的帰結
- 認識の理論を経由する道徳
- 懐疑──自由の証拠
- 「自由の論理」
- 精神──価値づけの力能
移行のために──〈コギト〉の消尽
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- 「個人的な問い」
- 〈私は考える〉解体の歴史
- 『言葉と物』を読むカンギレム
- 反省的「様式」は断念されるべきなのか
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第二部 行動することと判断すること(1935─1939年)──行動の火急性が悟性を超え出るということ
- 第六章 判断について
- 判断するとはいかなることか
- 判断すること、それは意志すること=望むことである
- 治療すること、それは判断することである
- 第七章 『ファシズムと農民』──マルクス主義と「裁かれた」歴史
- 歴史的必然性の哲学
- 唯物論とはフェティシズムである
- 価値の歴史性という問題──ストア派としてのアラン
- アランの方法における死角
- 価値の唯一性という問題
- 第八章 超え出られる悟性
- 〈技術〉と価値の哲学
- 行動とは何か──崇高なるカヴァイエス
- 「デカルトと技術」──転換点となるテクスト
- 「生きているものの要求」
- 生きているもの──なおかつ人間として
- 第九章 必然性の判断に対する行動の還元不可能性
- アラン──それは「失効した哲学」か「承認された哲学」か
- 「〈傲慢な=推定的な〉行動」の権利回復
- 技術と科学の〈相互追い抜きレース〉
- リスク、誤謬、無謀さ
- 創造的擬制=フィクション
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