AMSEA講義用。
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引用
- 22「ディセーニョとは、もとは素描や下絵を意味するが、ヴァザーリはこれに 対象の全体と部分のあいだの比例関係の認識や、そこから生じる構想、それらが頭のなかでなたちをなし、ついで手によってそとにあらわされる造形・描写のいとなみそのものを意味させている」
- 38「純粋に分類上の呼び名としての「芸術」とは、むしろ われわれの時代になって はじめて必要とされるようになったことばとして、いまその定義が問われているのである。現代の美学、あるいは芸術哲学は、あらためて「芸術」ということばの記述的用法の可能性を提示する責務がある。」
- 47「いま、一定の制度的ふるまいとしての発話を、フーコー 的な意味で「言説(ディスクール、ディスコース)」と呼ぶならば、アートワールドとは「制度化された理由づけのディスコース」のことである。」
- 50 「現代においてアートのふるまいとは、否応なく、アートの定義とルールの更新に関与することである。あたらしい作品とは、これまでのアートの定義と理論とのかかわりにおいて、そのつどあたらしい定義と理論をみずからのうちに体現し、これによってみずからがなぜアートでありうるかを呈示するものである。現代のアートが、なんらかのかたちで自己反省的で自己言及的な、したがってコンセプチュアルな「メタ・アート」としての性格を帯びざるをえないのは、このためである。
文献
『現代アートの哲学』
- クレメント・グリーンバーグ(1961→1965)『近代芸術と文化 (1965年) (芸術論叢書)』