借りもの:居安 正(2000)『ゲオルク・ジンメル:現代分化社会における個人と社会』


  • 第1章 生涯と社会的背景
  • 第2章 社会学理論の展開
  • 第3章

引用

第1章 生涯と社会的背景

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彼はTh.モムゼンのもとに歴史学を学び、やがてM.ラツァールスの民族心理学へ、さらにはA.バスティアンの民族学に移り、最後はE.ツェラーのもとに哲学を修めたが、この間に芸術史にも関心をもち、イタリア語を学んだり、ペトラルカに心を引かれたりもした。

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シュトラスブルク大学に赴任したジンメルは、任地での新しい研究をも計画したが、第一次大戦によって学生の多くが戦場に赴き、大学も野戦病院となり、やがて彼は肝臓癌にかかり、大戦のもたらした精神的な荒廃と栄養不良のなかに、最後の著作『生の哲学』(1918年)のために沈痛薬をこばみ、それを完成して1918年9月26日に死亡した。

12 ベルリン大学歴史学教授のD.シェファー先生曰く:

社会学の科学としての地位はなお論議されるべきです。国家や教会に代わって「社会」を人間の共同生活の決定的な機関としようとすることは、不吉な災いにみちた誤りです。