吉永進一(2010)「近代日本における神智学思想の歴史」

CiNii 論文 -  近代日本における神智学思想の歴史(<特集>スピリチュアリティ)

メモ

1-2 日本の歴史研究
  • 378 「日本では宗教と自然科学の対立が強くなく、また既成宗教と霊性文化との対立が見られないために、霊性文化の領域を策定するのはそう簡単ではない。」
  • 霊性思想が出版物で盛んに流通するようになるのは明治30年代後半から
1-3 メタフィジカル宗教と神智学
2-1 明治から大正へ
  • 382 「アメリカに比べれば、日本の霊性文化で神智学の占める重要性は低い。かなり早くから紹介されたにもかかわらず、つねに忘却されていった。」
  • 386 「先に神智学徒スティーブンソンが儒教と神智学の共通性を指摘していたと述べたが、日本の場合、欧米のメタフイジカルな思想に伝統的な思想が結びつきやすい。小林[参三郎]の例は、個体の働きがそのまま霊的な回路で共同体の利福につながるという個と全体をつなぐ近世の楽観的な社会道徳観が、神智学概念によって蘇ったという点で興味深い。」
2-2 昭和期 三浦関造の神智学
  • 392 「三浦の生涯を振り返れば・大正時代は新教育というリベラルな立場にいたはずの人物が・ファシスト的オカルティストと提携し、戦後はさらに別のメタフィジカル教師の教えを受容して、冷戦下の終末論を唱える。一見すれば紆余曲折とも思われるが、内的霊性という観点からすれば、戦争前は日本という国家の内的な霊性(太古の黄金時代)の称揚、戦後は地球の内的霊性(シャンバラ)とヨガを通しての個人の霊性の発揮と、社会体制の変化に応じて霊性思想を読み替えてきたということはできよう。」