朝カル講義用:
現代スピリチュアリティ文化論 - 株式会社 明石書店 |
第一部 現代スピリチュアリティ文化の理論と研究アプローチ |
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2003年に出した本の続編です:
この章は2003年に執筆されたもの。同業者にインタビューしている。
それまでなにしてたん。
宗教学者は、自分が共感できる対象を研究しており(85)、共感できないものはしてなかったと。
「伊藤さん」はこの本の執筆者=インタビュアーのことであります。
このように、社会学の研究者が 理解と共感を区別できてないのを見せられるとさすがに驚いちゃうね。
批判と理解は矛盾せず両立するし、他人の意味世界の尊重は その人に共感しなくてもできるし、自分が否定的に評価している相手からでも学ぶことはできるよねぇ常識的に考えて。なんなんだこの論争は。
内在的理解が通用しないんじゃなくて、内在的理解の捉え方が間違ってるだけだよなぁ。
というか、こんな議論を続けるくらいなら、社会学者は、そもそも「理解」という語の使用をやめたらいいのでは?
「『ウパニシャッド』にかかわるヴェーダ哲学を発展させたシャンカラは、絶対的なリアリティ(ブラフマン)は無限で、形のない、非二元の覚醒(non-dual awareness)であることを強調した。」