2006年に新教出版社から『アメリカ・キリスト教史―理念によって建てられた国の軌跡』として刊行されたもの。
- 作者:森本 あんり
- 発売日: 2019/11/21
- メディア: 文庫
「はじめに」
- 『ミドゥルタウン』のリンドは大学卒業後長老派の牧師を目指して神学校へ入学した人物
第二章「ニューイングランドの建設」
- 「ピルグリムたちがこの「契約」という概念を、改革派の神学的伝統である「契約神学」とこれに培われたピューリタン的な「教会契約」から得たことは確かである。ただし、一般に教会契約は厳格な資格審査を経て迎えられる同質者の間での契約であるが、政治社会契約としてのメイフラワー契約はむしろその逆で、「よそ者」を内包し統合してより広い包括的な団体を形成することを目的としている。」
- ウォール・ストリートは最初は奴隷市場だった
第三章「ピューリタンの信仰と生活」
- 「マサチューセッツで特筆に値するのは、入植直後から、大学を設立し、初等教育を法制化し、印刷を開始し、信仰教育を兼ねた識字教育読本を出版するなど、教育に強い関心が払われたことである。」
「なお、植民地議会により一六三六年に設立されたハーヴァード大学は、牧師養成という具体的目的をもちながら、その教科内容は聖書言語の習得を別にすれば、むしろ一般的なリベラルアーツを主体としている。この見かけ上の齟齬は、実は「説教者を育てる」というピューリタン的な神学教育の需要への適切な応答に他ならない。ハーヴァード大学は、かくして神学校でありつつ、同時に一般大学でもあるプロテスタント的な大学の一形態を表現することとなった。」 - ピューリタンにとり、政府は人間の罪のゆえに必要な組織である。
- オズワルド・スミス編『ブレイナードの日記』いのちのことば社、1997年 https://www.kyobunkwan.co.jp/xbook/archives/15054
宣伝文:「先住民への宣教にすべてを捧げ、28歳の若さで召された聖徒のありのままの祈りと思い。ヘンリー・マーティンを、ウィリアム・ケアリを、海外宣教へと導いた一冊。」
第四章「大覚醒」
- 「その後のアメリカ史には、「反知性主義」と呼ばれる強固な伝統が形成されるが、その前提となったのが、知性と権威が結びついたピューリタン社会の構造であり、その権威主義に立ち向かう原動力となったのが、聖書に記された素朴な信仰の確信であった。」
- 1741年 ジョナサン・エドワーズ「怒れる神の手のうちにある罪人」
- Wikipedia:「ピューリタン時代の1741年7月8日にコネチカット州エンフィールドで、カルヴァン主義者の会衆派教会牧師である、ジョナサン・エドワーズによって説教された、彼の最も有名な説教である。これは、大覚醒のリバイバルに用いられた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%92%E3%82%8C%E3%82%8B%E7%A5%9E%E3%81%AE%E5%BE%A1%E6%89%8B%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E7%BD%AA%E4%BA%BA
- Wikipedia:「ピューリタン時代の1741年7月8日にコネチカット州エンフィールドで、カルヴァン主義者の会衆派教会牧師である、ジョナサン・エドワーズによって説教された、彼の最も有名な説教である。これは、大覚醒のリバイバルに用いられた。」
- 「つまり、「イギリス領」植民地は、信仰復興によってはじめて「アメリカ」としての自覚をもつに至ったのである。これらのいずれもが間接的で意図せざる結果であるとしても、総じて宗教的な独立が政治的な独立を助けた、と言うことはできよう。1740年以前には単に地域をあらわす言葉であった「アメリカ」が、それ以降は人々や社会のことを指すようになったのである。」
- マーク・トウェイン『トム・ソーヤーの冒険 (新潮文庫)』柴田元幸訳、新潮文庫、2012年 https://www.shinchosha.co.jp/book/210611/
南部の小さな田舎町にも押し寄せた信仰復興運動の顛末の描写が登場する。 - 独立革命時の人口200万人
- ヴァジニア信教自由法
第六章「諸教会の進展と変容」
第七章「アンテベラム時代」
- アンテベラム:戦争前。南北戦争までの19世紀前半を指す時代区分
- Wikipedia:キャンプ・ミーティング 「18世紀のアメリカにおいて、未踏の荒野への何千人もの移住は、ある種の宗教的真空状態を引き起こしていた。礼拝のできる家がほとんどなかっただけではなく、正規に任職された聖職者の不足はより深刻であった。「キャンプ・ミーティング」は、こういった状況のなかから現れた革新的な対応策であった。」 野営天幕集会
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0- キャンプ・ミーティング普及「の結果、19世紀半ばには、それまでの会衆派や長老派に代わって、メソジストとバプテストが台頭し、教会所属分布では前者が三五パーセント、後者が二〇パーセントを占める二大教派となった。アメリカの教派分布地図は、第二次信仰復興運動によって大きく塗り替えられたことになる。」
- セルフメイドマン
- アルミニウス主義
- 1829年 インディアン居住地に金鉱が発見される
第九章「南北戦争期」
- 黒人奴隷の数
・18世紀初め 2万人
・19世紀初め 100万人
・19世紀半ば 400万人 - ジョン・ガスト(1872)「アメリカの進歩」https://www.meisterdrucke.jp/fine-art-prints/John-Gast/819125/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%AE%E9%80%B2%E6%AD%A9%E3%80%811872.html
- ・1870年 黒人男性の選挙権
・1920年 女性の選挙権
第十章「アメリカの膨張」
- 再建時代(南北戦争後77年まで)の人口:4000万人
・カトリック:350万人
・メソジスト:350万人
・バプテスト:200万人
・長老派:100万人
・会衆派:50万人
・聖公会:50万人
・ルター派:50万人
・ユニヴァーサリスト:14万人
・クェーカー:10万人
・ドイツ改革派:10万人
・オランダ改革派:5万人
・ユニテリアン:3万人 - separate but equal(分離すれども平等)
- 1880年代の移民排斥法は鉄道建設のために大規模に流入した中国人を狙ったもの
- 20世紀初頭の人口:8000万人弱
- Wikipedia:ドワイト・ムーディ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC
- ドワイト・ライマン・ムーディ『神にできないことはありません―救われることの祝福』いのちのことば社、1993年
- エンゲルス『空想から科学へ』ISBN:B08BLSQ63Y
英語版序文でドワイト・ムーディの名を挙げている。
http://red-mole.net/bunko/kisobunken/kuso0.html
- 表紙の絵は婦人キリスト教禁酒同盟の版画だったと。https://kadobun.jp/feature/interview/6e1jpoz9wv8k.html
- ビリー・サンデーだけで半期の講義してる:https://subsites.icu.ac.jp/people/morimoto/Syllabi/Eth10.html
- われらの国:最大の自由・純粋なキリスト教・最高の文明
- 1880年 新約聖書邦訳
第十一章「二つの世界大戦」
- 「発足当初、キリスト教信仰の基本を堅持するという意味であった「ファンダメンタリズム」は、その後興隆した「イスラム原理主義」との連想から、忌避されるべき言葉となった。代わりに人々が自称として用いるようになったのが、広義に「プロテスタント」を意味する「福音派」(Evangerist)という呼称である。」
- 1926年 KKKのワシントンパレード https://www.loc.gov/item/93513529/
第十二章「戦後から現代へ」
- ビリー・グラハム
- ノーマン・ピール
- 1956年 反知性主義。エッグ・ヘッド
- 1966年 ハーヴィ・コックス(1966)『世俗都市 (1967年)』塩月賢太郎訳、新教出版社
- 1966年 トマス・アルタイザー&ウィリアム・ハミルトン『神の死の神学 (1969年)』新教出版社
- 「敗戦直後に発布された日本国憲法が同様の条項を持つことから考えると、今日の我々が享受する自由の幾ばくかは「エホバの証人」という少数者の勇気ある行動に負っていると言わねばならない。」