特集:マルケイ&ギルバート(1984→1990)『科学理論の現象学』

科学社会学特集の続き:https://contractio.hateblo.jp/entry/20191113/p7
データセッションの準備。

第9章「パンドラの遺したもの」における著作の全体の要約

全9段落。

  • [01] 本書の主題は社会的世界という多元的現実。
    • 科学における行為と信念の様式について単一で首尾一貫した説明を作成するという伝統的な社会学の目標を放棄する代わりに、
    • 科学者が、行為や信念を多様な仕方で構築・再構築するのに用いる方法について立証しようとした。
  • [02] 「もし適切な分析的アプローチを工夫することができれば、混線した言葉遣いの背後に解釈的規則性を認めることができるであろうという想定をわれわれは固守した。」
  • [03] 【第3章について】 「科学者たちがその行為と信念を異なる社会的文脈において解釈するときは別の解釈形式を使用することをわれわれは十分に示したと主張する。われわれは、経験主義的レパートリーおよび偶然的レパートリーという概念を工夫することによって,これらの解釈形式のさまざまな重要な面を捕えようと企てた」。「これらの概念は,科学者たちの公式および非公式談話の繰返し現われる特徴の幾つかを記述するのに役立った」が、それだけでなく、
    • 【第4章について】 「研究論文やインタビューにおける研究行為の解釈についてのわれわれの最初の[=第3章の]観察とは明白な連関をもたない[、誤った信念と正しい信念を区別する、という]解釈的な現象を理解することにおいても有用であった。」 「すなわち、われわれは、誤った信念と正しい信念との非対称的な説明を構成するための資源としてこの二つのレパトワを参加者たちが使用しているのを示した。」
    • 【第5章について】 「さらに,インタビュー懇談における二つのレパトワの相互浸透が解釈問題をときどき生じさせ、それは、《真理は工夫によって現われる truth will out device*》の導入によって解決されることが明らかになった。」

* 訳がおかしい。truth will out で「真実はいずれ明らかになる」「真実は自ずと露見する」といった意味のイディオム・諺であり、それが device として使われているという話だろう。
※あとで確認:〈経験主義的レパトワ/偶然的レパトワ〉導入の場面はどのようなものであったか。

本書前半に関するまとめ:

それゆえ、本書の前半で、われわれの分析は、

  • 科学者たちが解釈多様性を創作しうる基底である2つの基礎的レジスタを暴露することにおいて、また
  • これらのレジスタが科学の主要な解釈文脈を構成する手段となる仕方を示すことにおいて、また
  • 科学者たちの実際の説明作業に含まれる主要原理を幾つか確認することにおいて、

有用であることが判明した。行為と信念についての参加者たちの実際の説明はきわめて多様であるdiverse けれども、それらは繰返し現われる解釈形式解釈レパトワとから構成されていることを はっきり示すことが、われわれはできたのである。
 これらの基礎的結論を確立してしまうと,われわれはただちにいっそう複雑な新しい研究主題へと進んだ。そして,談話分析は小規模な社会現象の領域に限定されないことを示した。集合現象であるはずの認知的合意にわれわれは焦点を合わせた。

  • [04] 【第6章について】 「合意を,社会的集合体の潜在的に測定可能な属性であるとみることは,分析的には誤りを導くものであるとわれわれは主張した。そのような方向の社会学的分析は,参加者たちが生みだした特殊的で,文脈的に作成された解釈を実在であるかのようにするのに役立つだけのものである。」
    • 「一定の時点で一定の集合体が根本的に異なる「合意の程度」を示しているとされることがあることを,参カロ者たちの解釈作業の検討ははっきりと示した。」
    • 「このようなアプローチは,科学における集合現象に今まで適用されたことはなかったにしろ,社会生活の他の分野における社会的集合体の解釈的分析の一群の成果に基づけられてきたことはいうまでもない。」
      Jack D. Douglas, 1971, Everyday Life

第7章に関するまとめだけが不釣り合いに長い。

  • [05] 【第7章】 「テキストやインタビュー記事にすでに適用されているのと同種の分析が説明図的談話にも広く適用されることを示して,これを行なった。とくに,科学的知識=要求の説明図的解釈は,解釈文脈の間を移動するのに応じて,規則的に変化することが明らかになった。」
    • 「このように,談話分析は,いままで閉されていた研究主題の分野を経験的調査を受けうるように開放するだけでなく,このような主題が思いがけなくも社会学の長年の争点に光をあてることをも示すのである。
      というのは,われわれの分析は,科学者たちの説明図についての検討こそ、知識社会学の中心問題を取り扱う簡潔で効果的な方法──すなわち, 自然世界についての科学者たちの専門技術的表示の文脈的可変性を明らかに論証する方法──を与えることを示したからである。」
  • [06] 【第7章:図についての科学者たち自身の解釈】 「科学者たちの解釈は,彼らが行為と信念を描くのに使用した経験主義的・偶然的レパートリーとぴつたり並行する説明図的表示の実在主義的・虚構主義的信念に依存していること,をわれわれは見出した。」
  • [06] 【第7章:教育的図についての談話】 「説明図についての彼らの談話は,性格上圧倒的に虚構主義的であった。しかし,一つのきわだった例外は,われわれのデータでは,学生および一般向けのものといわれる説明図についての彼らの懇談の中にあった。このような説明図はいっそう実在主義的な仕方で構成されねばならない, と彼らは強調した,そして,このような説明図についてのわれわれの検討が示したように,それらは専門家の間に流布しているのとはしばしば別のものであつたし,またそれらは通常の対象の日常的表現の領域から借りられたいっそう「実在主義的な」視覚的構成要素をしばしば含んでいた.」
  • [06] 【第7章:図におけるレパトワの衝突】 「また,説明図についての懇談において科学者たちが虚構主義的レパートリーと実在主義的レパートリーとを使用し,両者の間を移動することが,行為と信念についての経験主義的談話と偶然的談話との間の転移において現われる問題とよく似た解釈問題をしばしば造り出していることが明らかになった。」
  • [07] 【第7章:レパトワの衝突とジョーク】 「これらの解釈問題の中で最も明白なものである「Trubshawのジレンマ」は,説明図についての科学者たちの虚構主義的説明と,学生にはいっそう実在主義的な説明図が適しているという彼らの要求とを統一することの困難から生じたのである.この解釈問題は説明図についての回答者たちの反省的懇談に限られるのではないこと,このジレンマは視覚的領域自体においてしばしば現われること,が示された.」
    • 「この主張は,ある種の視覚的ジョークーーそこでは,「まじめに受けとられるべきではない」構成要素が,全く別の談話分野からの説明図的諸資源によって,ユーモラスに表示されている一―を検査することによって強力に根拠づけられた.この種の視覚的ジョークが,検討中の知識=要求の構成要素に付与される「実在性の程度」への明晰な指針を与えるように組織されることによって,Trubshawのジレンマを解決するように思われるのである。」
  • [08] 【第7章:視覚的ジョーク】 「酸化的リン酸化の漫画はわれわれに科学者たちのジョークをまじめに受けとるようにさせた。われわれはそれらを,参カロ者たちの潜在的な解釈多様性が明らかに暴露される談話形式であると考えた。それゆえ,われわれはそれらを今までの結論へのチェックとして使用した,そして科学者社会の内部で広く流布しているジョークを選出し,それらを使って,われわれの研究成果の少なくとも幾つかは一般に科学者たちの間で自然に行なわれている談話に適合するものであることを示したのである。」
  • [09] 【第8章】 「われわれはまた,ユーモアのもつ特殊な分析的有用さは科学だけに限定されるのではないことを強調し,このことをマッキンタイアの分析と妊娠ジョークとを考察する短い余談によって説明したのである。 しかし,それは,ユーモアについてのわれわれの本当の用法,一般的社会学的意味をもつ用法ではない。
    • 「なぜなら第1章で示したわれわれの基礎的議論──研究行為についての伝統的形式の社会学的分析は参加者たちの談話から説明なしに導かれている, しかし,談話分析は行為と信念の分析への不可欠な序奏もしくは その代替物であるreplacement for である,という議論──は,社会学的探求の全分野に等しく適用される完全に普遍的な議論であるからである.」
      • 「それゆえ,本書を,単に科学社会学内部で進行中の新アプローチに一歩進んだ局面をひらく試みとしてではなく,談話を通じての社会生活の生産と再生産とに関係する諸科学と社会学とにおける広範な分析的運動への一つの寄与として読まれることをわれわれは希望するのである。」

談話分析について