「哲学入門」読書会のための準備。
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第3章 問いの立て方
問い立てのコツ①――根源や意味にさかのぼる
私の活動の一つに、哲学思考を他者と協力して進めていく「哲学対話」(5章)の活動があります。そこでは、生きる意味とは/成長とは/愛とは/死とは/自由とは/平等とは/正義とは/平和とは何かという問いがよくあげられます。
いかにも「哲学っぽい」と感じるかもしれません。しかし「~とは何か」と問うこと、つまりその「根源」や「意味」にさかのぼり、「本質」や「共通了解」からはじめるのは、最も手っ取り早い問いの立て方です。問い立てのコツ②――善悪や価値、べき/べきでないを問う
こうした深淵なテーマはちょっととっつきにくいと感じるなら、もう少し身近な設定にしてみましょう。単純に物事の「善悪」や「価値」、「べき/べきでない」を問うてみるのもいいでしょう。
すると、「問いの焦点」があわせやすく、考えるとっかかりを見つけやすくなります。
たとえば以下のような問いです。
- 友達は多いほうが本当にいいか。
- 仕事の人間関係とはどのようなものであるべきか。
- 空気を読むのはよいことか。
- 人に迷惑をかけなければ何をしてもよいか。
- 人と比べるのは悪いことか。
- 利己的でない行為は存在するか。
- 死刑制度は正しいといえるか。
これらの多くは、実際に「哲学カフェ」や、「哲学対話」で実際に出された問いです。どれもユニークで切実な、哲学的に深めがいのある問いです。
問い立てのコツ③――自分の経験から考える/前提や定義をはっきりさせる
身近で切実な問いであることは大切ですが、次のようなことを考える場合は、少し注意が必要です。
- なぜ日本人はシャイなのか。
- なぜあの人は怒りっぽいのか。
- なぜ少子化が進んだのか。
- なぜ東京に人口が集中するのか。
- なぜ性的なことに関心をもつのか。
- なぜ人は彼氏/彼女を欲しがるのか。
- ビジネスで成功するにはどうしたらいいか。
- 部下が従うようになるにはどうしたらよいか。
これらも、哲学対話でよくあげられる問いです。哲学的に考えられないわけではないのですが、「問い方」には慎重な検討が必要です。
「なぜ日本人はシャイなのか」。この問いには、すでに「日本人はシャイである」という前提が含まれています。しかし、本当にそうでしょうか。「シャイである」という言葉の解釈も、人によって幅がありそうです。
そこでまず、「シャイである」ことを、自分なりに定義する必要があります。
「日本人は」にも注意が必要です。「主語が大きすぎる」のです。正しい答えを知りたいのなら、日本人や日本人に会ったことのある外国人にアンケートを取るべきかもしれません。しかし自分の周りの人に聞いてみたとしても、その答えは「自分の周りの人はそう考えている」ことを意味するにすぎません。
このような問いで話し合うと、「アメリカ人は罪の文化で、日本人は恥の文化だからだ」とか、「昔ある事件が起きて、それがきっかけになっている」といった意見が出ることがあります。
それはそれで「文化論」としてはおもしろいのですが、どこまでも「推測」の域を出ません。真偽のわからないまま、哲学探究はそこで止まってしまいます。
「なぜ東京に人口が集中するのか」とか、「なぜ少子化が進んだのか」、「なぜあの人は怒りっぽいのか」といった問いも同様です。個人の推測で答えるのでなければ、あくまで社会学や心理学など別の方法で検証されるべきです。しかも、その情報がインターネットや本などで手に入るのなら、哲学的に考える必要もありません。
この場合にも、「問いの変換」が有効になります。
たとえば次のように変えてみるといいでしょう。
ポイントは、まずは自分の経験から考えられる問いにすること、そして、そもそもの前提や言葉の定義をはっきりさせ
る問いにすることです。
- シャイであるとはどういうことか。
- 怒りとは何か。
- 子どもをもつこと/もたないことの意味とは何か。
学校では、「なぜ人は性的な関心をもつのか」、「なぜ人は、彼氏/彼女を欲しがるのか」といった問いを提案されることもあります。
こうした問いに思いをめぐらせるのは実に楽しいものです。しかしこれも、生物学や文化人類学的な知見に頼る方向性で考えるのであれば、建設的とはいえません。
この場合なら、「セックスと愛はどのような関係にあるか」や「法的な制度でないのに、なぜ彼氏や彼女といった枠組が重要なのか」と変えてみると、より深めがいのある問いになるでしょう。
コツ②のように、価値を判断する形式の問いに変えるのも一つです。「なぜ重要なのか」、「なぜ善いのか」といった形にすると、対立軸や理由をもとに、哲学的に考えを進められるからです。