梶谷真司(2018)『考えるとはどういうことか:0歳から100歳までの哲学入門』

読書会の準備。

  • はじめに
    • 出会い
    • 生まれてから死ぬまで
    • 哲学のイメージが変わった?
    • 哲学=「考えること」の難しさ
    • 「考えること」と「自由になること」
  • 第1章 哲学対話の哲学
    • 1. 哲学対話とはどのようなものか?
      • 「子どものため」は「みんなのため」
      • 考える体験としての対話
      • いろんな人と話す
      • 輪になって座る
      • 体で感じる哲学
      • 対話は終わった後に始まる
    • 2. 哲学対話のルール
      • ルールが対話を哲学的にする
      • 何を言ってもいい場はない
      • 語る自由を奪う教育
      • 否定的態度をとらない
      • 話さずに聞いている自由
      • 問うことの難しさ
      • 問わない方がいい?
      • ダイジョウブという魔法の言葉
      • 知的な安心感とは?
      • 対等に話すための制約
      • 開かれた終わりのない対話へ
  • 第2章 哲学の存在意義
    • 1. 哲学対話の効用
      • なぜ「何のために」と問うのか?
      • 何のための哲学対話か?
    • 2. 自由のための哲学
      • 自由のいろいろ
      • 感覚としての自由
      • 考えることで自由になる
      • 他者と共に自由になる
    • 3. 責任のための哲学
      • ポジティヴな意味の責任
      • 奪われる自由と負わされる責任
      • 自由と責任の回復
    • 4. 自分のための哲学
      • 哲学は誰のものか?
      • 哲学は恋愛のようなもの

  • 第3章 問う・考える・語る・聞く
    • 1. 問うことと考えること
      • 問うことではじめて考える
      • 問うことは自ら問うこと
      • 哲学の問いと哲学的な問い
      • とりあえず問う
      • 問いを問い、問いを重ねる
      • <基本的な問い方>
      • <時間と空間を移動する>
      • <小さな問いから大きな問いへ>
      • <大きな問いを小さくする>
      • 問いではない問いを問う
      • 答えのある問いの大切さ
    • 2. 考えることと語ること
      • 語ることが考えに形を与える
      • 自分の考えは話さなくていい?
      • あふれる他者不在の語り
      • 語ってから考える
      • 多ければ少なく、少なければ多く
      • いろんな人と対話する
      • 子どもと対話する意義
      • 誰でも考えを語れるようになる
    • 3. 語ることと聞くこと
      • 人の話は聞いていない?
      • 「受け入れる」ではなく「受け止める」
      • 「理解する」ではなく「受け止める」
      • 聞くことは場を共有すること
      • 言葉以前の対話的関係
  • 第4章 哲学対話の実践
    • 1. 用途と参加者
      • 哲学対話の用途
      • 人間関係を作ることの大切さ
      • 参加者の多様性
      • 普通はいない人を入れる
      • 子どもを入れる
      • 赤ん坊でもいい
      • その場にいるだけでいい
    • 2. 場の作り方
      • 会場の選び方と準備
        会場の選び方
        会場の広さ
        必要な物品
        会場の設営と片づけ
      • グループ分けと座り方
      • 質問ゲーム
      • 自己紹介
      • 問い出しと問い決め
        いろんな問い出しの方法
        (1) ゼロから始める
        (2) テーマから始める
        (3) 素材から始める
      • コミュニティボールの効用
    • 3. 対話の進め方
      • 始め方
      • 進行役 (ファシリテーター) の役割
      • 板書とメモ
      • 対話の良し悪し
      • 終わり方
      • 反省せず、何度もやる
  • おわりに
    • 純化した極論?
    • 学校教育の否定?
    • ありがちな日本人論?

あとがき

ページ数の比



はじめに

  • [04] 課題の提示:
    「だから今、哲学者のおめでたい勝手な願望ではなく、あえて言うのだ、「哲学は誰にとっても、いつも必要なものだ」と。この入門書では、そうした誰にでも必要な哲学がどのようなものなのか説明していく。そうすることで、私たちがどのような問題を抱え、なぜ哲学が重要なのか、どうすればその問題を乗り越えられるのかということも分かるだろう。」
    • [08] 「だが、一生すべての人に必要な哲学とは、どのようなものなのか。」

[17] 本書全体の構成の提示:※掲げられている問いと課題に番号をつけておく:

これで本書のテーマ「生まれてから死ぬまで、いつでも誰にでも必要な哲学」を始める準備が整った。このあと

  • 第1章では、
    • 哲学対話で言われる哲学がどのようなものか、その特徴について述べ、
    • 対話のルールの意味を説明する、
  • 第2章では、このような哲学の存在意義として、
    • 先に述べた「自由」についてより詳しく説明し、
    • 「他者と共に自由と責任を取り戻す」という目的を提示しよう。続いて
  • 第3章では、哲学対話について、「問うことと考えること」「考えることと語ること」「語ることと聞くこと」に分けて述べていく。
  • 第4章では、哲学対話の場の作り方、ファシリテーションの仕方と注意点を具体的に説明するので、自分でも「哲学すること」を実践してみてほしい。

  • 1a. 哲学対話における哲学とは
  • 1b. 対話のルールの意味とは
  • 2a. 哲学の存在意義としての「自由」についての詳説
  • 2b.「他者と共に自由と責任を取り戻す」という目的の提示
  • 3. 哲学対話の解説
  • 4. 哲学対話の作り方の具体的な説明

自由 - 考えること

このうち、2aについては 12-16 が初出箇所だが、ここのロジックは見通し難い。これは第二章前半で詳説すると宣言されているので、そこを見ないといけないが、その前にまずは p. 12-16 について検討してみる。
「自由-考えること-哲学」の連関が提示される段落は以下の箇所[14-15]:

 何事であれ、学ぶためには、「やり方」を知らなければいけない。さらに、「習うより慣れろ」と言われるように、とにかくたくさんやってみなければいけない。だが「考える」ことに関しては、いずれのチャンスも私たちには与えられていない。
 学校のことを思い出してほしい。私たちが教わるのは、個々の場面で必要なルールを身につけ、その中で決められたことに適切な答えを出すことだけである。いろいろやってみるというより、決まったことを繰り返す。それは「考えること」とは違う。少なくともここで、言う「問い、考え、語り、聞く」という、対話的な意味での「考えること」ではない。
 そこに自己との対話はなく、まして他者との対話など望むべくもない。ただ出された指示に従うこと、教えられたことを教えられた通りに行うことが重視される。それに習熟することで、「よく考えなさい!」と言われた時に期待されている「正解」が出せるのだ。
 それはむしろ「考えること」とは反対のこと、「考えないようにすること」ですらある。「考えること」が「共に考えること」であり、「共に生きること」だとすれば、どう考えればいいかを学ばず、ただ考えないようにさせられているということは、この世で生きるうえで必要な、何かとても大切なものを犠牲にしているか、失っていることにならないだろうか。

「考えること」と「自由になること」

 その大切なものとは「自由」である。私たちは考えることによってはじめて自由になれる。考えることは、自分を縛りつけるさまざまな制約から自らを解き放つことである。
 世の中のルール、家庭や学校、会社での人間関係、常識や慣習、自分自身の思い込み、さまざまな恐れや怒り、こだわりから、ほんの少しであっても距離をとることができる。それが私たちの生に自由の余地を与える。私たちが考えるのは、考えなければならないのは、私たちにとってもっとも大切な自由を得るためである。
 考えるなんて、いつもやっている、自分はじゅうぶん自由だという人もいるだろう。牢獄につながれていても、思考だけは自由だ。そんな考え方もある。あるいは哲学好きな人であれば、人間にはそもそも自由なんてないんだ、それは幻想なんだ、という人もいるだろう。しょせん理想にすぎないという人もいるだろう。
 だが、私がここで言いたいのは、そういう当たり前のことでもなければ、幻想や理想に追いやってしまえるようなものでもない。きわめて具体的で身近な問題であって、まさしくすべての人に、子どもにも人人にも、人生の最初から人生の最後まで関わることである、
 私が「考えること」を通して手に入れる自由を強調するのは、現実の生活の中では、そうした自由がほとんど許容されていないからであり、しかもそれは、まさに考えることを許さない、考えないように仕向ける力が世の中のいたるところに働いているからである。だから、自由になるためには、「考えること」としての哲学が必要なのである.
 そんなことができるのかと思うかもしれない。たしかにただやみくもに考えればいいわけではない、一人だけで頑張っても、途中で力尽きるだけだろう。しかし、共に考える「対話」としての哲学には、それが可能なのである。しかもそこでは、一人で勝手に自由になるのではなく、他の人といっしょに自由になることができるのだ。

  • ここで描かれている「自由」(の前提)は、「世の中のルール、家庭や学校、会社での人間関係、常識や慣習、自分自身の思い込み、さまざまな恐れや怒り、こだわりから、ほんの少しであっても距離をとること」
  • 「自由」が「考えること」と関連するのは、「考えること」「考えることは、自分を縛りつけるさまざまな制約から自らを解き放つこと」だから。

哲学 - 考えること - 他者

「哲学 - 考えること」と「考えること - 他者」の連関は [12-13]。

哲学=「考えること」の難しさ

 「知識」ではない「体験」としての哲学とは、「考えること」そのものを指す。より厳密に言えば、第一章で詳しく述べるように、「問い、考え、語ること」である. そして一人で考える時、私たちは自分に問いかけては答え、それを繰り返す。つまり思考とは自分自身との「対話」なのだ。そして対話であれば、語る相手、つまり「聞く」人がいる。一人で考えている時、この聞き手は自分自身であるが、それは潜在的には他者である。
 したがって「考えること」は、他の人との対話、「共に問い、考え、語り、聞くこと」であると言える。哲学とは、このようにごくありふれた、きわめて人間的な営みである。それは簡潔に「共に生きること」と言い換えてもいいだろう。互いに「問い、考え、語り、聞く」ことそのような共に考える営みとしての哲学は、人が生まれた直後から始まり、まさに人と人が共に生きていくことそのものなのである。

  • 「考えること」とは、「問い - 答え ・語り- 聞くこと」である。したがってこれは「誰かとの対話」である。

相当に飛躍の多い文章であり、また、「考えること」と「哲学」が いかなる権利によって同一視されるのかは記されていない。


第1章 哲学対話の哲学