第三回科学社会学会年次大会(2014年度)「ルーマンのリスク論再考」セッションへのコメント


9年前に、林真理さんに、会への反応をいただいていたことに今気が付きました。ご来場どうもありがとうございました。

残念ながら、どんな前提を採用すると以下のような推論のステップを踏めることになるのかまったく想像が出来なくて、たいへん苦しんでいます。
そもそも何が「本来」なんでしょうか。
我々が、原因帰属に関わる表現──たとえば「~のせいで」とか「〜のおかげで」とか──を使う局面を法に関係づけるなんてことをするのは、ほんとうに限られたごく一部の場合だけですよね(常識的に考えて)。

ルーマンリスク論の再検討(科学社会学会) - 備忘録

決定者と被影響者の見方の違い、とりわけ帰責を巡る対立に着目し、それがいかにして生じるかのメカニズムを明らかにしようとする「第二次の観察」には意義深いものがあるだろう。

  • [1] しかし、本来帰責を巡っては、正義・不正義という法(または倫理)の二値コードが関与してく[る]はずではないか。今回の報告でそれが欠けているように思えた。
  • [2] というのも、法システムに重要な意味を持たせないで、決定者が「天災」を主張し、被影響者が「人災」を主張するという態度の違いの理由を明らかにすることは、それらを単に正当化することにつながるのではないかという危惧があるからだ。
  • [3] 正当化の根拠には法システムがかかわってくるはずであり、またその法システム自体の正当性への疑問もある。
  • [4] ただし、こういった議論を持ち込むと、純粋な「第二次の観察」にはとどまらなくなるだろう。
https://hayashi9192.hatenablog.com/entry/20140928/1411861409

『リスクの社会学』の読後感もうかがってみたいところではありますが、こうした↑疑問自体は、ルーマンの著作に当たっても解消しないはずです(このような疑問を持つことを可能にせしめた前提の方を検討しないといけない)。


追記: すこし考えてみて気がついたのですが、もしかすると、リプライとしてまず最初に述べるべきなのは、「〈帰属〉は、法学だけでなく、心理学でも経済学でも使われる言葉ですよ」ということなのかもしれませんね。