「相互行為」第2節

in 『社会学的啓蒙』2(1975)

[0204] 主題への集中

  • こうしたことから、発話過程を、主題によって、社会的状況に 集中するということを考えつく。つまり参与者は、言明を交わし合うその時々に共通の主題に関係している。
  • コミュニケーションの主題の助けで、システムは、自己を構成している多様な知覚過程に対して再び選択的に関係する。
主題による集中は、──システム自身の複雑性の規定と縮減として──、生じたさまざまな可能性を削減する原理、さらにシステム内のあらゆるより高い秩序作用の前提として働く。
  • 主題による集中は、そのつどひとつの主題だけが承認され、維持されることで、単純化を可能にする。
  • その意味でシステムを作る出来事の連続した秩序が生じ、多様性が順々に表現されなくてはならなくなる。
議論に参加したことがあれば誰でも、これがどんなに時間を要するものかを分かろう。だが、この時間次元への待避が、全員参加の前提なのである。
  • この場合、同時に参与者たちによる共同の注意──言語によってだけ獲得できる中心化の効果──がこの主題に集中している。
  • そうして主題は、個々の意見から区別できるそれ固有の同一性を獲得する。
      • 【二段階選択:主題の選択/意見の選択】 この場合、主題は、個々の意見が、主題に合っているか反れているか、また、その主題を必要としているか、また変更するかどうかを決定できる(場合によっては、主題化できる)という意味で、さまざまな意見を統制するのに用いられる。
      • 【主題の選択/参与者の選択】 さらに、主題は一定の範囲で、すなわち新加入者が少しの間、耳を傾け、その主題を処理していかなくてはならないとか、あるいは押し付けがましくて、主題にふさわしく知覚しえないなら、主題の交換を必要とすることで、システムヘの採用過程を統制している。

[0205]「コミュニケーション主題」のもつ構造化機能

  • [01] こう考えると、すでに主題が単純なシステムの ある種の構造として働いていることがわかる。
  • [02] もちろんきわめて弱い構造としてであって、たいていの場合その時々の参与者の種類や関心の方向から独立して決定されることはないし、その参与者の交換が長く続きはしない。
  • [03]この「弱さ」──別なふうに見れば、主題交換が容易であるということ──は、単純なシステムに融通性があるという契機を形作るものであり、同時にシステムの自律性と周界制御が乏しいことを証明している。

主題のもつ構造化機能:二段階選択

  • [04] 主題のこの構造化を行う機能が現われるのは、とくに主題により二段階の選択が可能となるところである。
    つまり──複雑性をさまざまな水準に縮減すること──:
    1.主題自体を選択し変更できる。
    2.主題の枠内でさまざまな意見の選択ができる。

定式化:再帰的コミュニケーション=過程的自己準拠

  • [05] さらに注目すべきは、生じてくる障害や問題を「定式化する」ことで、
    すなわち言語で発話のコンテクストに関係づけること、または丸ごと「主題化される」ことで、言うなれば共同の注意の中心にもたらすことで、
    主題が意識的にもシステムの制御のために利用される場合。
  • [06] ex. 新人の方を向き、挨拶しシステムに受け容れる[cf. サックス]。
  • [07] ex.参与者同士による相互作用の弱さを口に出して言う。
    ex. 主題自体を主題にする。
    ex. 主題の展開を決議事項として提起する。
    ex. 主題からの逸脱を非難する。
  • [08] 最終的に──主題を主題化することとならんで──、主題およびその境界、さらに展開していく可能性についてのきっちりとした理解がシステム制御のために役立つ。
  • [09] 不都合な主題を避けたり、主題の重要さに応じて慎重に、敏感になり、あるいは距離をとって関係することになる。
  • [10] たしかに本来の主題が公の主題にされない場合がありうるが、それにもかかわらず、参与者が主題の状態を知り、受け入れ、言い換えでやりくりするからシステムは潜在的に制御されているのである。

[0206] 「再帰的知覚とコミュニケーション」ふたたび

だから一定の範囲で、主題の制御のために、またそれどころか主題によるシステムの制御のために、知覚作用が再び利用されなくてはならなくなる。
詳しく言うならば、コミュニケーション過程に直接関係している聴取作用だけではなく、種々雑多あらゆる種類にわたる観察があてられなくてはならない。こうした事態から発話過程は、知覚過程からの不完全な分化として把握される。
発話は、思念とコミュニケーションという伝達としてまたシステム操舵として、同時に作用しているレベルを前提にしている。
そこでは否定作用を自由に利用できず、印象や気分などを、ほんの例外的にはっきりと主題化することによってしか、質問の形式や否定できる意味の表われる形式にもたらすことができない。
これも単純なシステムの「構造の弱さ」の一面である。システムは、それ自身の展開を決めていく過程のほんの一部しか、否定できる主題構造の形式にもたらすことができないのである。
そしてこの形式は、言語より速く進行する知覚過程により運ばれ、渡される。だが、たしかに時間的には優れているものの、選択度の乏しさと社会的合意の困難という代価を払わなくてはならない。

ここ、原文確認。

[0207]

社会システムは、こうした仕方で拡散した知覚による接触と言葉によるコミュニケーションとに同時に関係している。つまり体験処理の二つの分化可能な(たとえば十分には分離しえないにしても)過程を同時に利用することで、特定の構造からなる予防装置を用いて参与者の同時的現存性を放棄した、より大きくより複雑な社会システムとは、はっきりと区別される。そうであるにもかかわらず「存続」しえるのである。
単純なシステムの特殊性は、一種の「分業」を行ないながらどんどん問題を転移することが可能であるという、二元的な基本過程にある。

たしかにほとんど発言(例えば学問上の議論)をつうじてだけ調整されるか、あるいはほとんど知覚(例えばサッカー)をつうじてだけ調整されるというふうな極端な事例はある。だがこうした場合には専門家能力が必要となる。

一般に単純なシステムでは、この二つの様式の過程を自由に利用できるところにその強みがある。しかし、この型のシステムを選択することには、とりわけシステムの作用とシステムの複雑性の増大する可能性について、はっきりとした限界があるのである。