2節「象徴闘争」
相互作用主義と客観主義
社会空間を さまざまな相互作用のからみあった状況空間──すなわち 抽象的な 位置状況situations の断続的な継起──へと還元 してしまう主観主義的 錯覚に おちいらないようにするためには、
- [a] [本節で]すでにおこなってきたように、客観的空間 としての社会空間──つまり それらの相互作用がとりうる形式 と そこにまきこまれた人びとがその形式について抱きうる表象と を決定する ような、客観的諸関係の構造としての社会空間を[研究者の側で]構築しなければならないわけだが、
- [b] 今度はさらに、社会的事実をもののように扱うことで 記述的対象を物化する このとりあえず採用した客観主義を、乗り越えなければならない。
社会的位置というのは、
- [a] 観察者の眼には たがいに重なり合うことなく、静態的秩序のなかに 並列された複数の場所であるように見え、それらの場所を占めている諸集団間の境界がどこに引かれるのかという純粋に理論的な問題を提起するように思われるのだが、
- [b] 実はまた同時に[秩序の参加者にとっては]戦略的な場所、ある闘争の場 において防御や攻略の対象となる陣地でもあるからだ。[p.376]
「状況」に還元するなら「主観」主義では無くね?(概念的に考えて(GK)。)
まぁ「(心的)表象」っていわれると、なんか「主観的」っぽいかしらね。
この空間の中に、唯一の観点から決定的に画定され、明確な境界線によって区切られた複数の区域を切り取ろうとする客観主義的傾向 [...] に対しては 充分警戒しなければならない。
たとえば、工業経営者についてはすでに示したように、また、プチブル層が表象する比較的境界線のあいまいなこの領域の中でも、とりわけ あいまいな区域である中間階級の新興層という典型的な例についてはこのあと見るように、統計学上の通常の分類法のせいでどうしても構築せざるを得ない社会的位置 集合の一つ一つは、それ自体が相対的に自律性をもった場として機能しうるのであり、したがって統計学的に数字を累積してゆく必要上どうしても用いざるを得ない どちらかといえば抽象的な職業カテゴリーの代わりに、もっと厳密に画定された具体的なポストを置き換えてやりさえすれば、競合関係の網が はっきり見えてくるであろう。その網のなかでは たとえば、それぞれに正統性をそなえたさまざまな肩書きの持ち主たちを たがいに対立させる権能上の争い──その職業を正当におこなう権利を与えてくれる肩書きおよびその職業をおこなうに際しての正当な管轄をめぐる争い──が生じている。
具体的にいえば [...] がそうである。あるいはまた、職業同士の争い、それも大部分は最近になって新しく出来た職業同士の争いも生じている。そうした職業は、「社会的」援助を提供するもの(...)、教育関係(...)、文化関係(...)、精神衛生関係(...)と さまざまであるが、いずれも
- それらを対立させる競合関係のなかで、またそうした競合関係によって、
- そしてそれらが既成の秩序を変容させて そこに自分のための承認された場所を確保すべく互いに敵対する戦略に訴えてゆくなかで
はじめてその内容が規定されてくるようなものであるという共通点をもっている。[p.376]
「具体的なポスト」ェ....