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『論争』isbn:4833202042 最終論文「システム理論の諸根拠」の二「システムとしてのディスクルス」(10)で、「再帰的な予期構造に関する現代の社会心理学的分析」として、ブルーマー・ニューカム・R.D.レインなどとともに、トマス・シェフの古典的研究が挙げられている。
[ハバーマスが「ディスクルス」概念で狙って=望んでいるような]基礎付けについての仮定・勧告・および批判──いや、一般に基礎づけに関する関心──は、疑いもなく、共通した体験や行為のごく一部を覆うにすぎない。そうした関心は、愛の場合・闘争の場合・他者の単なる知覚の場合・回避の場合・プラクティカルな模倣の場合・基本的社会化の場合などなどいずれをもカヴァーしていない10。人はけっこううまく、相互の確信に基づいて──(他者の基礎付けは偽りであるが*1)各人は自分の意見に関する他者の意見を知り、またさらにこの私見Meinenに関する〔他者の〕意見のこの知識も既知であり、相互的なものとして安定しているという場合でも、そしてまさにそのような場合でこそ、ただ十分な実効ある同意がつくりだされる限りで──一緒に生活しているものである。 [佐藤嘉一訳(をちょっと改変):406頁]
10: これについては再帰的予期構造にかんする現代の社会心理学的分析を参照せよ。[‥]Thomas J. Scheff, Toward a Socilogical Theory of Consensus, American Sociological Review 32 (1967), S.32-46[‥] その他の点では、まさに日常言語的コミュニケーション理論は、夫婦葛藤にかんする経験的諸研究のなかですでに明らかにされている現象に対して留保しなければならないはずなのだが。すなわち、日常言語の手段を用いたのでは 予期の予期次元に横たわっており*2、したがって大きな葛藤は解きえない。なぜなら日常言語は、このような葛藤に対してそのつど肯定的な諸表現も否定的な諸表現をも用意しており、また同時に、再帰的予期構造ないし二重再帰的予期構造の適切なディスクルス的再構成は、表現すべき事態の複雑性によって失敗するからである。
つまり、「日常言語」では解き得ない──とはまた語弊ありまくりの表現だが──「大きな葛藤」の例として、「夫婦喧嘩をみろ」とおっしゃる(w。 確かに、「日常生活における再帰的予期」が如何に解きがたい困難な問題をもたらすかは、結婚したことのある人なら──そして離婚したことのある人ならなおさら──よくご存知のことでしょう。
- Gregory P. Stone and Harvey A. Farberman (eds.) Social Psychology Through Symbolic Interaction. Ginn Blaisdell, Waltham, 1970
あと、シェフといえばこれですな: