(3/13) 法哲学研究会に行って来た(その3)

たぶん、大屋さんの「東京法哲学研究会に行ってきた」は、私(のブログ)への牽制ではないかな、と思うわけですが。[→伊藤さんへの、ではなくて。]
 で、大屋さんの曰く。


研究会は私的な場であって、言いたいことがあればその場で直接指摘するのが良いというか、だからこそ何を言ってもいいんだという感じなので、個別の発表に対する言及は基本的にしません。特に大学院生の場合は、論文という形で公に問う前の段階で指導目的の発表をしていることも多いので、それを公表された言説とは扱いたくない。研究会の恥はかきすて。あくまで私の感覚であり、これを誰かに強制するつもりはまったくありませんが。
おおやにき:http://alicia.zive.net/weblog/t-ohya/000039.html
言ってることは「理解可能」ではあります。が。

「学術的コミュニケーション」と一言でいっても、どんなところでなされたものなのかによって、つまり/たとえば、

  1. 論文・著作
  2. 大きな学会大会など
  3. 小規模の研究会
  4. ウェブ
  5. ログが公開されたメーリングリスト
  6. ログ非公開のメーリングリスト
  7. (以下略)

などなど、どこでなされたものであるかによって、その「扱い」が異なる(べき)だろう、という点については、たぶん、大屋さんと私の間で意見の齟齬は無いだろう、と思います。
 もしも「決定的」に意見(あるいは振る舞い)の違いが生じるとしたら、上記の「学術的コミュニケーションが行われる場所」の間に、明確なヒエラルキーが導入される場合のことで、これは実際にありそうなことではあります。つまり、論文・著作(あるいはせいぜい学会大会くらいまで)が「正式」な言及対象であり、そのほかは「非公式」なものであり、そうであるからには「言及対象」とするのはまずい、というような。
 もしも「それが学者渡世の おやくそく なのだよ」と言われれば、それを 尊重 する用意までは、私にもあるわけですが、それに完全につきあうことは、こちらには不可能なんですよね。なぜって、私は論文とか書かない──し、学者じゃない──んで。
 こちらの「コミュニケーション」媒体は、インターネット(MLとWEB、そして個別のメールのやりとり)──に加えてたまに学会大会や小規模の研究会(の質疑応答時間)──に限られているわけでして。そして、そうだとはいってもやはり、私としても、上記のコミュニケーションは、それぞれ「媒体別」に扱う、という区別はするわけです。というか、区別自体は、「学者渡世のお約束」に従わなくても──つまりヒエラルキーをもちこまなくても──できる、ということまでは理解していただけると思うのですが。だってこれ、日常的に、誰でもやっていること(の1ケース)なわけだし。

たとえば、次のトピックで、私は法哲学研究会の1報告を取り上げるわけですが、ログ非公開のMLと、ブログとでは、当然(?)異なることを書く訳でして。
 という次第なので、私が自分のブログに書くことも、たぶん、大屋さんがひょっとしたら懸念しているかもしれないようなことに抵触することはないだろう、と自分では思う訳です(が──次のトピックをみてみて──、実際のところはどうだったでしょうかね)。


大屋さんの続けて曰く:
その上でまあ一言だけ言っておくと、違いが確認できればそれで良かったので、逆に言うと私の作業はああいう健全な社会観が構成される段階まででいいのだな、と自己確認した次第です。
ちなみに、あの場での、大屋-福井間の応答についていえば、私、どちらの意見にも異論があって──「言いたいことがあればその場で直接指摘する」といったって、私はその時どっちに向かって喋ればいいのか困ってしまった訳で(w──、特に、大屋さんが議論を「(法)社会学と(法)哲学の違い」としてまとめた点──これが上記引用文中の「違い」なわけですが、それ──については、「おぃおぃちょっと待ってくれ〜そりゃないぜ〜」と思ったのでした。その点についても書こうと思ってたんですがー。。。書いてもいいですか? それともやっぱり 「忘れて欲しい」(^_^)?
とか言ってみるテスト。