涜書:ニクラス・ルーマン『社会の芸術』

夜食。

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

社会の芸術 (叢書・ウニベルシタス)

  • 3章 メディアと形式
  • 4章 芸術の機能と芸術システムの分出
  • 5章 自己組織化──コード化とプログララム化
  • 6章 進化
  • 7章 自己記述



自己記述とはなんでしょう[p.410]:

自己記述においてシステムは自分自身を主題化する。したがって自己の同一性を主張するのである。自己主題化(コミュニケーションが問題である場合)と反省は同義語である。しかしこう述べることによって難点が隠蔽されてしまう。記述することは観察することの一種である。そして観察することとは、区別しつつ指し示すことである。しかし区別すること・指し示すことは、二重の囲い出し〔Ausgrenzung=排除し不可視化すること〕と結びついている。

  1. 区別の他の側においてマークされない空間が──そのつど指し示されていないものが──囲い出される。そして、
  2. 一方の側を指し示し他方の側を指し示さないでおくために区別を用いる作動の統一性もまた囲い出されるのである。
観察としての記述は世界を、またそのつど作動している観察者を不可視化することを含意している。確かにテクストにおいて単なるテクスト以上のものが、例えば著者が存在することが見て取れる。記述の内側が、その記述によってはマークされていない外側について告げているのである。しかしこの境界を横断しようとするなら、他の側において何かを区別し、指し示しえなければならなくなる。かくして異なる布置においてではあるが同じ間題に直面せざるをえないのである。意識の、後には精神の自己反省に関する古典的理論は「規定された/無規定な」という図式において論を進めるのを好んだが、この図式の選択そのものを根拠づけることはできなかった。おそらくその理由は今述べた点にあるのだろう。
 われわれが仮説を形成していくための出発点となるのはマークされたものとマークされないもののこの境界、マーキングのこの形式である。そこから、「これこれの事例においてはどんな区別が何を不可視化しているのか」との問いが導かれてくる。本書に則してより精確に言えば、「芸術が自分自身を区別する(観察する、記述する)作動において用いる区別は何なのか」ということになる。芸術を記述するためにどんな区別が選ばれるかは、もちろん偶然の問題ではない。しかしまた《芸術の本質》によって規定されるわけでもない。ただしその背景となる事象は確かに存在する。その背景こそが特定の区切りを必然化し、特定の最終概念によってそれ以上の問いを押し止めるのである。この背景事象はおそらく全体社会レヴェルでのコミュニケーションという領域における新たな秩序のうちに求められうるだろう。あるいはより精確に言えば全体社会システムが、主要には機能分化した状態へと移行したことのうちに求められるのである。機能分化の秩序においては結局のところ芸術もまた固有の、別の力によっては規定されえない場所を求め、定めねばならないのである。


「機能」とはなんでしょう:

  • 〈作動/観察〉という区別のもとでは、コードは作動の側に、機能は観察の側に。
  • 〈作動/構造〉という区別のもとでは、コードは構造の側に。

機能とはさしあたってはまず、比較の観点に他ならない。

  1. ある一つの問題がマークされて(その限りで《関連問題》と呼びうる)、複数の問題解決が比較可能となる。
  2. そして選択と代替という作業がなされうるのである。

この意味では機能分析とは方法的原理であって、任意の観察者による任意の問題設定(目的の設置を含む)へと適用されうる。ただし機能的分析を行う観察者の恣意は、システム言及を選択することによって縮減される。例えばわれわれの場合なら、全体社会システムにおける関連問題へと限定することによって縮減されるのである。同時にこの制限によって、循環的関係が観察可能になりもする。

  1. 関連問題のマーキングはシステムのなかで生じる。そのシステムはマーキングを用いて問題解決を追求する。
  2. そしてマーキングが生じるのは問題解決が与えられている場合のみなのである。その限りでは解決が問題を生み出すのである。
    問題は解決を用いることによって解かれるということになる。

観察者が用いる《問題》《機能》という言葉は

  • すでに確立されている布置を、代替選択肢への関心のもとで 再 問 題 化 するためにのみ役立つのである。
  • あるいは、特定の機能の文脈から飛び出すことなく変異と付き合える範囲をコントロールするために役立つと言ってもいい。
 それゆえにここでの全体社会理論は、伝統的な分業学説とは異なって、機能のうちに特定の布置が存在する根拠があるわけではないということから出発する。
機能主義的説明が旧来の、アリストテレス的な意味での目的論的説明の代わりとなりうるというわけにはいかないのである。
全体社会システムの歴史的変動に関する説明は、進化理論によってのみ与えられる。ただしもちろん進化理論のほうは、「機能が進化上の《アトラクター》として、進化のプロセスがどの方向において確かなものとなるかに影響を及ぼす」との発想を利用しうるわけだが。機能への定位は潜在的なものに留まる(したがって、セカンド・オーダーの観察者のみが見て取れる)場合もあるだろうし、機能システムの可能性のテストに直接影響を与えることもあるだろう。いずれにせよ、機能への定位もまた進化するのである。

 芸術の機能についての問いは、観察者によってのみ立てられる。その際観察者は、作動によって産出された現実をすでに前提としていなければならない。さもなければそのような問いを立てるという発想には、そもそも至りえないだろう。

  • この観察者は外的観察者であってもよい。学者、例えば社会学者などがそうである。
  • しかし話題となっているシステムも自分自身の観察者でありうる。つまり、自己の機能について自ら問うこともできるのである。
    ただしここにおいても、作動と観察とを区別しなければならないという点は何ら変わらない。芸術的コミュニケーションの作動が、芸術の機能についての問いに答が与えられるということに、あるいは少なくとも問いが立てられるということに依存しているケースなど考えられない。作動は、生じる時には生じる(生じない場合は生じない)。必要な動機といったものは、どうにかして調達されうるのである。[p.229-230]

 階層的分化に対する芸術の関係は、一見して思われるであろう以上に複雑である。階層分化社会において芸術の個々の種類が区別され、それらの連関についての問いが浮上してくる場合、問題は位階の秩序であると見なされることになる。

つまり、全体社会の統一性が、それどころか世界の統一性が記述される形式において扱われるわけだ。

そこでは視線は上へと向けられる。しかしやがてそのような態度は、芸術の自己評価と葛藤するようになっていく。

  1. 確かに一方で、芸術を求めるのは上層であったと仮定してもまちがいではない。芸術のほうでも、最上圏のうちにのみ適切な対象・人物・運命が存すると見なしていた。
    これは芸術が、道徳的・教育的機能を担っていたということと関連している。下層においては充分な行為の自由は存在せず、したがってまた卓越さの手本も見いだせないのだから、と。
    修辞と詩の文体形式も、扱われる人物の位階に応じて変化した。
    アンリ・テステランによれば描線の種類でさえ、人物の地位に従って整えられるべきなのである。田舎の素朴な人々には荒い線を、威厳のある厳粛な人物にははっきりした線を、というように。
    ロマン派の小説、例えばティークにおいてもまだ、王子と伯爵が不可欠だった。もっともそこでは貧者にも重要な行為能力が帰せられるようになっていたのであるが。
  2. ただし、このように位階が不可欠だったからといって、そこから「上層自身が芸術への理解と関心を発達させてきた」との結論を導き出してはならない。
    共和制ローマの貴族たちについて、彼らは詩を無益である(Supervacua、あるいはより古い表記法ではsupervacanea)と見なしており、自身の知的活動としては法に携わっていたと報告されている。
    芸術が発展してきたのは明らかに、上層の私的関心事としてよりもむしろ政治的ないし宗教的な領域において公的で共通の事柄を描出することを契機としてであった。つまり最初から特定の機能に関連してのことだったのである。また芸術理論も早い段階から、(それなりに教育を受けた)あらゆる観察者を念頭に置くような構造をとっていた。生得的地位に基づく区分を見越すようなことはしなくなっていたのである。すなわちこの理論は、結局のところ階層からはまったく無関係に自身を把握するような芸術を準備していたわけだ。芸術に関して何が問題であるかを理解するのは誰であり、誰が理解しないのかを決めるのは芸術自身である、と。

 逆にその分だけ、次のように問う必要がでてくることになる。全体社会の他の領域が、例えば政治・経済・学が、自己を機能システムとして把握し、ますます特殊な問題へと集中していくようになる。あらゆるものをその点から眺め始め、それを睨みながら自身を作動の上で閉じていく。このとき芸術にはいったい何が生じるのだろうか。

十四世紀のフィレンツェにおいてメディチ家は、疑わしい手段で獲得した金銭を政治的に正統化するために芸術を必要とした。そこにおいては芸術とはいったい何だったのか。芸術は、こう言ってよければ、政治的地位を築くための投資だったのだろうか。

他のシステムが機能との関連で分出していき、それが全体社会の分化を機能分化のほうへと押しやっていく時、はたして芸術には何が生じるのか。芸術は他の、今や支配的なものとなった機能システムに服するのだろうか。それともわれわれはそう論じたいのだが諸機能システムが自律化へと向かっていくこの傾向こそが、芸術が固有の機能を発見しそれに集中していくための契機となったのだろうか。イタリア・ルネッサンスヘと至る展開が、われわれの議論を裏書きしているように思われる。[p.227]


分化とはなんでしょう[p.226]:

 [〈システム-と-システム〉/〈システム/環境〉を区別するという]以上の考察から、分化形式の進化におけるある種の発展の論理とでもいうべきものが導き出されてくる。

あらかじめ与えられている全体が諸部分へと分解されるというように考えてはならない。分化形式は分解の原理ではないのである。さもなければ、一つの形式から別の形式への移行がいかにして成し遂げられうるかを考えることができなくなってしまうだろう。むしろ

全体社会という総体システムが、下位システムが分出し作動上閉じられる可能性を与えてくれるのである。それが生じる場合には、そしてその場合にのみ、下位システムがとる形式は次のようなものとなる。すなわちその形式には、一つの他の側が存在するということが前提とされるのである。したがってシステムのタイプが規定されるとともに、そのシステムにとって他のものに関して、つまり形式の外の側において何が期待されるべきかも明らかになってくる。

・[環節的]システムが集落であるなら他の諸集落が。
・[階層的]分出がより高い位階を占めることに依拠しているならより位階の低いシステムが。
・[機能的]そして最後に、分出したシステムが自己の機能へと特殊化されている場合には他の機能システムが。
例えば近代初期の国家における政治的発展にとって、当初宗教は内戦の契機としての意味をもっていた。しかし古のトレント(Tridentinum)において宗教が再組織されて以降、それを受けたプロテスタント世界の国教会構造においては、宗教はますます他の機能(政治)のみに対するパートナーとなっていったのである。